城咲仁はインタビューで
愛田さんは、自身の城の復興を見届けたかのように、2018年に亡くなった。
とはいえ、波乱万丈の人生を歩んできた愛田さんにとっては、どんな人生の幕引きでも受け入れたのではないだろうか。
生前、愛田さんは週刊女性のインタビューにこう語っていた。
「もともと新宿2丁目にあった『愛』を、歌舞伎町の大きな店舗に移転した初日に、原因不明の火事で店内がまる焼けに。だけど落ち込んでいる暇なんてないから、業者に『一年後にお金を必ずお支払いしますから』と頼み込んで、もう一度、工事をやってもらった。客寄せのためバンバンマスコミに出ることにしたら、大繁盛。工事代は8か月で返すことができた」
「店の酒を盗まれたり、暴漢に襲われたこともしょっちゅうあったけど、歌舞伎町はいいところ。通報すれば5分しないで警察が来てくれる。でもお金の管理はしないとすぐに税務署がやってくる(笑)」
愛田さん亡き後も、愛田イズムは生き続けた。
愛本店を象徴する店舗内の独特の内装は、愛田さんが生前自身で手掛けたものだった。
「愛田社長(当時:以下同)自身が装飾品を買いつけててきて、自分で配置したり、開店前に接着剤で貼り付けたりしていたんです。だから、出勤してくるといつも店内が接着剤臭かったものでしたた。ただ、まったく統一性がないものばかりなのに、不思議にしっくりするんですよね。あと、うちの店は内装がキラキラしているぶん、ほかの店より明るい。それでも“愛本店に来ると落ち着く”というお客さんも多かったです。
実際、うちの店は落ち着くらしく、お客さんも長い人が多いですし、従業員も10年以上勤めている人間はザラです。社長の世界観と、人柄の魅力がまだ残っているんだと思います」(代表代行の慎さん)
愛田さんについて、ある元スタッフが以前、こんなエピソードを話してくれたことがある。
「社長は、心を鬼にしきれないところがあるんです。以前、持ち逃げしたスタッフが、なんとホームレス状態になって、店の前でたたずんでいたことがあった。社長は咎めるでもなく、黙ってその元スタッフに5000円を渡したんですよ」
2019年の年末に、期間限定で愛本店にホスト復帰をした城咲仁も、復帰の際のインタビューでこのように語っていた。
「社長はいつも、いい意味で僕を放っておいてくれたんですね。だから自分がやりたいようにやって、頑張れたんだと思います。
そんななか、芸能界へのお誘いがあって、ホストはきっぱり引退し、デビューすることにしたんですが、社長は『がんばれよ』と応援してくれたんです」