夫婦円満のカタチをみつけた上沼恵美子は

 上沼が語ってきた、“こだわりなき仕事観”。その発言に変化が起こったのが2013年。夫の定年や子どもの独立などを経て、心境に大きな移ろいがあったという。

《神様って、人生をうまいこと作ってますね。子育てや仕事に家事に追われて夢中に過ごしているうちに歳を重ねていく。(中略)いま振り返ると、いつも全力投球の貴重な時間でしたね。それがパッとなくなったわけですから。それは当然戸惑いますよ。突然、夕暮れがやってきたという感じです》(2013年)

 そして、夫と交わしたハワイに移住の約束についても《私はどうしても仕事を続けたかったので、約束を破ってしまった》(同前)としている。

 10年の時を経て、はじめて“仕事への意欲”を示したのである。今度は、時間を持て余した熟年主婦が趣味でサークルに参加するかのように仕事継続を選んだということか。それとも定年夫と2人で静かに暮らすというのは土台無理だったということなのか。その後も『婦人公論』に数回登場しているが、とりたてて仕事論らしきものについて語った箇所はなく、定年後も家事をまったくやらずにウクレレ、俳句、能面作りなどにハマっている“道楽夫”への悪態が多め(2014年)であった。

 そんな彼女が『女性セブン』に別居報道を報じられたのが2018年。夫の存在や言動へのストレスがたたり、“夫源病”になってしまったのだという。俗にいう“ウクレレ別居”である。上沼は同誌の直撃取材に「離婚するほうがめんどくさいわ」とも語っていた。

 総括すれば彼女が「仕事を続けてきた理由」は常にうまく立ちゆかない家庭事情と隣り合わせだったということだ。夫への怒り、姑とのわだかまりをガソリンに換え、テレビで毒を吐き続けてきた彼女の芸能人生。姑はこの世を去り、夫とは別居の道を選んだ──。

 しかし、今年の6月7日に『上沼・高田のクギズケ!』に出演したとき、別居して2年になった夫とコロナ禍で「仲睦まじくなった」というまさかのトークを繰り出した。要約するとこうだ。

 電話をかけても一日中出なかった夫を心配した上沼は、倒れているのかと思い翌朝6時に駆けつけたが、別段変わった様子はなかった。安心し、帰宅しようとすると、背後から「悪かったね」と声をかけられたという。その言葉に心底驚いたそうだ。上沼は「ドキッとしたね」と惚気てみせる。スタジオのゲストにも「うちの旦那の世代(団塊世代)って優しいことなんか絶対に言わないからね」と念押し惚気。

 令和の時代。夫婦のかたちも多様化するなか、彼女にとってのベストが“通い婚“だったとは……! 結婚43年目の真実。

『えみちゃんねる』を自らの手で終わらせた上沼恵美子。65歳にしてついに、怒れる“主婦の代弁者”はその牙を抜かれたのかもしれない。家庭円満への道がひらけた今、2度目の「仕事やめます」の瞬間が迫ってきている。

〈皿乃まる美・コラムニスト〉