エンタメの世界に惹かれた大学時代

 大学院1年になる'16年には、劇団四季のミュージカル『ノートルダムの鐘』の公開オーディションに挑戦し、1600人の中から、16人のキャストの1人に選ばれる。

「完全にダメもとですよ。もちろん、オーディション会場に入ってパフォーマンスするときは、僕もかれこれ7年も合唱団に身をおいてきたし、テレビも海外の舞台にも出たし、負けねぇよ、と思ってましたけど(笑)」

 出演期間は、'16年12月の東京公演から、京都公演、横浜公演と経て、'19年5月の名古屋公演まで。ちょうど大学院時代と重なり、ゼミと学会と論文と公演を綱渡りした。

「名古屋で公演していたころは、朝起きてドトールで『こども六法』の原稿を書いて、劇場入りして出演して、終わったらマンションに帰って原稿を書き、夜はスカイプで編集会議をする、という生活をしていました(笑)。性格が飽きっぽいので、それぞれが息抜きになるんですよ」

 歌に目覚めたのは、埼玉県立熊谷高校の合唱部に入ってからだった。

「中学校の合唱コンクールのあとに、音楽の先生から高校に上がったら合唱をやりなよ、とずっと言われていて。もともと声が大きかったので見込まれたけど、音痴なので音程感はないんです」

 と、謙遜する。入学した熊谷高校は、関東大会で入賞するような強豪校だった。

 さらに、大学では歴史ある名門の「慶應義塾ワグネル・ソサィエティー男声合唱団」に入団。

「この合唱団も進学先に慶應を選んだ理由のひとつです」

 ほかにもミュージカルサークルに参加し、ディズニーランドの年間パスポートを購入して足しげく通うなど、エンターテイメントの世界に惹かれていった大学時代だった。

2014年、ワグネル男声合唱団の金沢でのイベント出演で、司会を担当。ワグネルでは、ヨーロッパでの演奏会にも参加し、活躍の幅を広げていた
2014年、ワグネル男声合唱団の金沢でのイベント出演で、司会を担当。ワグネルでは、ヨーロッパでの演奏会にも参加し、活躍の幅を広げていた
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 当時の彼の様子を、ワグネルの女声合唱団に所属していた友人であり、現在は山崎のマネージャーでもある信濃蛍さん(26)が教えてくれた。

「キャンパスでは、みんなに“やまそー”で知られる異色の存在でした。声が大きくてフランクで、なんか変だし、目立ってる。私は、山崎くんは総理大臣になるのかな、と勝手に思っていました。ビッグマウスではなく有言実行で、自分で選んだことを大事にするタイプ。

 山崎くんらしいな、と思ったのは、ワグネルは毎年年始に現役から70代、80代のОBまでが集まる会をホテルで開催するんですけど、みんなスーツで集まる中、山崎くんだけジーパンで来て帰されて(笑)。だいたい場所と雰囲気でスーツだなって察するのに、その空気が読めないハラハラ感といい、そのあと1回も会には出なかったところも山崎くんらしい(笑)」

 子どものころからずっと“浮いてる感じ”だった山崎のことを、小川さん(前出)はこんなふうに分析してくれた。

彼は、自分が見ているビジョンや世界観をそのまま話してくれる人だな、と感じていて。そもそも、『こども六法』自体が彼の理念をそのまま本にしたようなものだし、いわば彼は“表現者”なんだと思います。だから、彼がしゃべるだけで目立ってしまう。

 純粋でストレートだから、カチンとくることもあるけど(笑)、不思議と周りがサポートしたくなる魅力があるんです。そんな僕自身もサポートしちゃったひとりなんですけど(笑)」

 カメラマンとしてのキャリアは、大学在学中からスタートした。祖父の影響で小学生のころからカメラに興味を持ち、中学では写真部の部長も兼任した。

「声楽の師匠からプロフィール写真を撮ってほしいと言われたのが最初の仕事で、そこから劇団のリハーサルやプロフィールの写真、七五三の写真などを中心に撮っています」