娘とただ「共に生きる」だけでいい

 青木さんが自分や子どもに対する褒め方を見失い、ときには“褒めなきゃ”と無理してしまうようになった背景は、幼少期にある。

「うちの両親は教師で、厳しかったんです。例えば、幼いころ親に褒められたくて、テストを頑張って80点とった。褒められると思って見せに行ったけれど“なんで100点じゃなかったの”と返ってきた。ピアノで『エリーゼのために』が弾けるようになった。報告すると“それはもう昨年、○○ちゃんが弾いていたよね”とか。だから私は“自分の自己肯定感の低さは、母親のせいだ。こんなふうに育てられなければ、もっと愛されれば……”と、母をずっと否定していました。でも、それはなんの解決にもならなかったんです」

 母親を恨みつつも完全には嫌いになれず、心のどこかで「修復したい」と願っていた。しかし、それは思っていた以上に難しかった。

「結婚、出産のタイミングでも歩み寄るチャレンジをしたものの、うまくいかず。周囲に“自分が親になったら、親のありがたみがわかるよ”とも言われたけれど、そうはならなかった。あげく、自分の娘をうちの母親が抱いてるときに“私の大事なものに触らないでほしい”とさえ思ってしまったんです。“私はこんなふうに大切にされた記憶がない”とも」

 だが昨年、母親が悪性リンパ腫を患い、余命数か月となったときに、最後のチャンスだと感じた青木さんは行動にうつす。

「一緒に活動している『NPO法人TWFの会(動物愛護団体)』の創立者である武司さんから“親と仲よくしなよ。そうしたら絶対、楽になれるから”と伝えられたんです。彼に言われたら、不思議とできるような感じがして。それから毎週のように、母がいる愛知県のホスピスに通いました。過去の嫌な記憶を脳内からなくして、今日は今日なんだ、という気持ちで母の手を握るとか、話しかけながらマッサージをしてみたら、彼女はすごく喜んで。“この人、こんなにうれしそうにするんだ”って思って続けるうちに、修復していきました。母の気持ちはわからないけれど、私は嫌いじゃなくなっていったんです

 母親は亡くなる前に、青木さんあての手紙を残していたという。だが青木さんは、その手紙をいまだに開封できていない。けれど「親が死んでもできる親孝行がある」と考えている。

「手紙は怖くてまだ開けられない。でも、もし私が死んで、天国から娘の様子を見下ろすとしたら、わが子が多くの友達に囲まれて、ものすごく楽しく生きている姿を見たい。そう考えると、私が母にできるいちばんの親孝行は、私が他人軸ではなく自分軸で生き、素敵な仲間が周りにいて、自分を肯定しながら娘と笑顔で暮らすことなのかなって。だから娘との関係も気張らず、変に“○○しなきゃ”と考えずに、ただただ娘を見守る。共に生きるっていうことだけでいいのかなと思って、今は生きています

(取材・文/たかまつなな)


【INFORMATION】
たかまつななと青木さやかさんの対談をYoutube『たかまつななチャンネル』内の動画で公開しています。リンクURL→【1】https://youtu.be/oaI3egmk-Cs 【2】https://youtu.be/TG9-plik1oM