アイドルは「通過点」でなく「目的」に
第3は、メンバーの卒業と新加入をイベント化し、新陳代謝を重ねることでグループを維持していくビジネスを開拓したこと。今ではモーニング娘。やAKB48グループ、坂道シリーズなど、多くの“グループ型アイドル”に受け継がれているが、そのプロトタイプがおニャン子クラブだった。
彼女たちの場合、“放課後のクラブ活動”という位置づけだったため、グループからの脱退を“卒業”と表現したわけだが、脱退につきまとう負のイメージ(メンバー間の不和や、事務所とのトラブルなど)を払拭(ふっしょく)したこの呼称はすぐに浸透。メンバー交代をポジティブなイメージに転換させた結果、グループのブランド価値を守りながら、鮮度も保つことが可能となったのである。'90年代以降、グループ型アイドルが主流となっていったのは、ソロのアイドルをゼロから育てるより、既存のグループを維持していくほうがリスクを回避できると運営側が判断するようになったからだろう。
第4は、そうしたビジネスモデルの定着により、アイドルが「通過点」ではなく「目的」と化したこと。かつては「アイドルの旬はせいぜい3年」と言われていた。それはソロやメンバー固定のグループが中心だったため、キャリアを重ねて若さや鮮度を失うにつれ、大人の歌手への脱皮を余儀なくされていたからである。
だが、メンバーの入れ替えが容易なグループ型アイドルの登場によって、事情は一変した。『スタ誕』出身歌手の作詞を数多く手がけた阿久悠は「岩崎宏美をどうやって成人させるかをいつも考えていた」と語っているが、世代交代をグループ内で行なえるようになると、そうした「成長」や「脱アイドル」は考える必要がなくなった。グループは同じような歌を歌い続け、メンバーは全力でアイドルを演じ続ける。アイドル文化を「可愛い少女を愛でるもの」と定義すると、そのほうがファンのニーズにも合致するからである。ただし、それはメンバー個人の成長を妨げ、卒業後の大成を難しくする負の側面もはらんでいることは指摘しておきたい。
ことほど左様に、多くのレガシーを残したおニャン子クラブだが、その快進撃は黒柳徹子に衝撃を与えた35年前のあの日から始まった。幸い、いまは多くの楽曲が定額制のストリーミングサービスで配信されているので、この機会に聴いてみるのはどうだろう。きっとあの時代の息吹と、現在のアイドルに連なるDNAを感じとれるに違いない。
(取材・文/濱口 英樹)