“生きる”とは仕事をするってこと
空襲で家が焼け、漫才をする場所がほとんどなかった時期は吉原で団子を売ったり、浅草のキャバレーで女給をしたりして、稼げるところならどこへでも行った。
はっきり言って、経験してきたことは全部、今でも役に立っています。人間生きていて無駄はない。『苦労嫌うな 苦は身の宝 苦労しようじゃ 蔵が建つ』ってね。ただ金を稼ぐだけじゃなく、経験が財産になって、今も現役の芸人でいられるんでしょうね。
自分の寿命なんて考えたことなかったけど、80代は災難続きでした。2度骨折をして、乳がんの手術も受けた。がんと診断されて“死”が頭をよぎらなかったと言えば、そりゃ嘘になりますよ。でもね、煩ったことはないんです。余計な心配なんてする暇なく「舞台に戻らなきゃ」と思うから、寝ちゃいられませんよ。
“内海桂子”という看板を出せば、ほかに間に合う人間はいません。私にとって、生きるってことは仕事をするってことなんですね。
64歳のとき、今の亭主と出会って私の人生はまた新しくなった。未婚のまま2人の子どもを育てたけど、惚れた腫れたで結婚したのは彼が初めて。24歳も年下だけど、いびり合いっこしながら毎日仲よくやっています。
亭主の稼ぎで生活するのも初めてね。男に食わせてもらったことはなかったから。だけど、人生やっぱり男があって女がある。亭主を見ていると、今でも「この顔の子どもを産めたらいいのになぁ」って思いますよ。
ここまで一緒に生活してきたんだから、死んだ後もそばにいたい。墓があると安心しますね。3年前、松が谷の行安寺に新しく墓を建てたんですよ。安藤の姓を後世につないでいきたい思いもあります。
死後のことは基本的にはお任せしていますが、葬儀に必要な銭だけは用意しています。たぶん足りるでしょう。
48年間コンビを組んだ相方の好江ですら先に逝ったきり蘇ってこないから、死後の世界があるかなんてわからない。でも、死んだら終わりってことはないですよ。人は死んだ後も生きた証を残すから、歴史が積み重なっていく。