「虐待」の悲しいニュースが日々絶えませんが、虐待を受けた人たちの苦しみは、その時だけではありません。そのあと、どれほど長く、酷く「虐待の後遺症」に苦しめられているのでしょうか。“いろんな家族の形”を数多く取材してきたノンフィクションライター・大塚玲子さんがお伝えします。
「虐待問題への取り組み」というと、弱い子どもへの暴力をいかに防ぐか、という話と捉える人がほとんどでしょう。それももちろん間違いなく重要なことですが、子どものときに虐待を受けて育った人が、その後どれほど長く、酷くその傷に苦しめられ、助けを必要とするかは、まだ十分に知られていないように感じます。
筆者も取材中に、ハッとさせられることがよくあります。子どのころに虐待を受けた人の中には「死んでしまいたい」という願望を持つ人も珍しくありません。
またそれは、本人にとって敢えて口に出すまでもないほど馴染みの思いだったりするのでしょう。ですから自傷行為や自死未遂について説明なく、突然さらりと言及する人はよくいますし、「(希死念慮については)当たり前すぎて言い忘れていた」と語る人もいます。
傍目には何のためなのかさっぱりわからないような行動や行為が、実はその人が受けた虐待の体験や記憶に根差している、ということも少なからずあります。今回は、そんな「虐待の後遺症」がわかるエピソードを、いくつかお伝えしたいと思います。
点滴にトイレの水を
その理由に驚がく
香奈子さん(仮名・40代)は、大人になってから何度も入院生活を経験しています。彼女は幼少のころから、継父や実母からは身体的・精神的虐待を受け、親せきからは性的虐待を受けており、ずっと深い罪悪感や希死念慮を抱えて生きてきました。被害者側が罪悪感を抱くなんて、まったく理不尽な話ですが、これは珍しいことではありません。
20代で子どもを産んだあとは持病の喘息が悪化。また喘息の治療のために投与してきたステロイドの影響で大腿骨が壊死してしまい、車椅子で生活することに。そのため、何度も手術を受けましたが、入院中も「隠れて自傷行為をしていた」といいます。
「静脈に入っている管に、トイレの水を入れたりしていました。看護師さんが置き忘れていった注射器(シリンジ)を拾って、(トイレの水を)ビューって引いて。そうすると敗血症になって40度くらいの熱が出るんです。そのときはもう、死んでもいいと思っていて」
当然ですが、医者も看護師さんも大騒ぎです。患者がまさかそんなことをするなんて、予想もしなかったでしょう。取材者である筆者が聞いても、度肝を抜かれる話でした。
しかし筆者がさらに衝撃を受けたのは、彼女の次の言葉でした。
「親が精神的に病んで亡くなるって、子どもがかわいそうな気がして。だから、敗血症とかで死んだ(ことにする)ほうがいいやと思って」
彼女は自分の経験から、子どもに対しては「親のせいでつらい目に遭わせることは絶対にしない」と強く決意していました。生きたい気持ちと死にたい気持ちがせめぎあう、ギリギリの状況でも、その思いは残っていたようです。
あとで医者からは「死んでいてもおかしくない状況だった」と言われたそうですが、なんとか彼女が生きてきてくれたことを、ただただ、ありがたいと感じます。