「東日本大震災、コロナ禍の今も根強い人気を誇る『瑠璃色の地球』は、聖子さんが妊娠中に録音しているため母性にあふれる特別な曲といわれています。しかし、聖子さんが妊娠していることはレコーディングが終わるまで明かされることはありませんでした。ただ松本さんは録音中にツワリに気がついたと言っていました(笑)」
結婚・出産を挟んで、聖子の海外進出も本格化していく。
「'85年には世界的なプロデューサー、フィル・ラモーンによる全編英語のアルバム『SOUND OF MY HEART』をリリース。さらに'88年には世界的な大物アーティスト、デイヴィッド・フォスターが楽曲を手がけるアルバム『Citron』をリリース。実はこのアルバムが、'81年からコンビを組んできた松本さんとの最後のアルバムとなりました」
松本隆のもとを卒業した聖子は、ここからセルフプロデュースの道を選ぶ。そんな中、'96年には自らが手がけた楽曲『あなたに逢いたくて』がミリオンヒットを記録する。さらに全米向けにアルバム『WAS IT THE FUTURE』を発表し、シングルカットされた曲がビルボードのクラブチャートで上位に入るなどの活躍を見せるも、日本ではあまり報じられることはなかった。
「どんなアルバムで、レコーディングで何があったのか。日本とアメリカの音楽の違いをどう感じたかなどもっと語る機会があったら……。当時は日本の音楽シーンも閉鎖的で海外進出に対して冷たかったのも影響していたのかもしれませんね」
デビュー40周年を機会に、さらなるチャレンジに期待したい。
PROFILE●田家秀樹(たけ・ひでき)●音楽評論家、放送作家、音楽番組パーソナリティーと幅広い活動を。スタジオジブリが刊行する『熱風』にて『風街とデラシネ~作詞家・松本隆の50年』を連載中