萩本欽一の好みだった?
「本当の理由はお父さんが私みたいな子がタイプだったからだと思います。キャンディーズのスーちゃん(田中好子)みたいな、丸顔で色白の子がけっこう好きなんですよ(笑)。何年か後に“絶対、私のこと好きだったでしょ?”って聞いたら、とぼけられましたけど」
3姉妹は、それぞれに違う役割が与えられていた。
「私はちょっと変なことをしてみたりするオチの位置だったんですよ。テレビの前のおじいちゃんおばあちゃんたちは、それを見てかわいいって言ってくれる。孫のような感じなんでしょうね」
愛されキャラではあるものの、思春期真っただ中だった高橋は複雑な心境だった。
「当時の放送を見返すと、確かに太ってるなって思うんです。でも私は当時、自分が松田聖子になれると思って生きてましたから! 日本中の女の子誰もが“聖子ちゃんになりたい”って思っていた時代なんですよ。私はたまえになってから、ちょっと人生が変わったなって思いますね」
ほんわかしたゆるふわタイプの役柄だが、その裏には厳しい稽古があったという。
「昼過ぎから稽古を始めて、終わるのは午後9時過ぎ。それで翌日に本番です。本当に小さい、細かいネタを何時間も延々と収録するんですよ。毎回4時間以上かかっていました。
私は黙って座ってることが多かったんですけど、どう座るか、座りながら何をするか、誰を見るか、っていうのも全部お父さんが指示したお芝居なんですよ。所作のすべてが笑いを追求して計算されていました。最初のころは“ただいま”っていうセリフと障子を開ける動作だけで、何時間も稽古したことがあります」
特に“お兄ちゃん”の見栄晴と高橋はオチを担当することが多く、笑いが長く続く場面での芝居だったため、芝居の間を変えないように “動いてはいけない”と指示されることも。
「できるまで何度も繰り返すので、リテイクの耐性はすごいつきました(笑)。リハーサルも撮り直しも、何回やっても大丈夫。その部分はすごく鍛えられましたね。別の番組で、自分から“あと3回くらいやりましょうか?”なんて言ったこともあります(笑)」
のぞみ・かなえ・たまえの人気が沸騰し、3人での歌手デビューも経験。ただ、思っていたものとはちょっと違っていた。
「『めだかの兄妹』って、童謡みたいなタイトルじゃないですか。しかもグループ名は“わらべ”。正直、3人で“えっ?”ってなったんです(笑)。アイドル全盛の時代に歌を出すって聞いたから、アイドルグループを作ってカッコいい曲を歌うのかなと思っていたんですけどね。
私たちはピンと来てなかったんですけど、お父さんは“これはすごいことになっちゃうよ”って。もう予言ですよね(笑)。全然信じられなくて“ホントかな?”なんて思ってたんですけど、お父さんの言うとおりでした」
シングルレコードが88万枚を超える大ヒットになり、『ザ・ベストテン』(TBS系)などの歌番組にも出演した。