車椅子の入店を断られ、引きこもりがちに
「ジェイ・ワークアウト」でのトレーニングは、歩行器につかまり、トレーナーが3人ついて、少しずつ立って歩くという内容だった。そのうちトレーナーが2人でもどうにか歩みを進められるようになり、距離も2mから5mへと、徐々に伸ばしていけるようになった。
克明さんが当時を振り返る。
「微々たる成果でも“寝たきり、よくて車椅子”と言われたときからすれば、まったく違う。目標に向かう毎日が彼女の支えになっていたんですね。だから、そんなトライをさせてもらって、頑張っている妻の姿に僕ら家族もすごく勇気づけられました」
君江さんはいつも笑顔が絶えない。明るく気さくな性格はどうやって養われたのだろうか。
君江さんは1975年、大阪生まれ。5歳上の兄と両親の4人家族。父は会社経営者だった。高校時代の同級生で親友の大桐知子さん(46)は、君江さんを「とにかく前向きな子だった」と言う。
「明るくて向上心がすごくあって、昔から弱音を吐くのを聞いたこともないくらい、前向きな子です。大学受験のときも、遊びもそこそこやりながら、しっかりと受験勉強もやっていくという、すごい意志がしっかりしてる子だなと思っていました」
結婚を機に上京。子育てに追われながらも、エステやネイルサロンに行ったり、旅行や買い物など、外に出かけたりするのが大好きな、活発な女性だった。
ところが、車椅子ユーザーになった途端、世界は一変する。好きなときに好きな店に入るという当たり前のことが叶わなくなってしまったのだ。克明さんは、外出のたびにショックを受ける妻が不憫でならなかった。
「車椅子になった当初は、引きこもっていたんですよ。店に行って断られることが続いたようなんですね。そんな嫌な思いをするのがつらくて、ネットショッピングばかりしていたようです」
しかし、淳さんのジムに行くようになってから、君江さんはちょっとずつ前向きに考えられるようになった。
「ネットを使っていろいろ調べ始めました。ネイルだったら“ネイル 世田谷”で検索して、1軒ずつ電話して行けるところを探したり。“歯医者”も(検索結果に出てきた)上から順番に電話して、車椅子で入れるところを聞いて回っていました」
と、君江さん。飲食店も同じで、まずは車椅子が入れるかどうかを確認しなければならなかった。
「よくあるのが、“車椅子でも入れます”と書いてあるので“大丈夫ですよね”と確認すると、“え? そんなこと書いてあります?”“車椅子はお断りしてるんです”と言い出すパターン。大手の居酒屋でも、“うちは無理ですから”と、すごい断り方をされたこともありました」
ただ「バリアフリーではない」と言われただけでは、どの程度のバリアがあるのか、具体的にはわからない。段差はどれぐらいか、スロープはあるのかどうか。
「だから、店側に問い合わせて、“大丈夫です”と言ってくれるところしか行けなかったんです」
君江さんは、海外に渡航した際の経験から、そもそも日本では街で車椅子ユーザーを見かけること自体が少ないと感じている。
「お店で断られたり、タクシーの乗車拒否は当たり前。電車に乗れば舌打ちされて、お店にいても“狭くなる”と苦情を言われたり……。そうして嫌な思いをすることが続くうちに、外出する勇気がなくなっていく。ましてや、車椅子で行けるところもわからない状況では、外に出なくなるのが普通なんですね」