やさしいココロがあればバリアは跳ね返せる
そして君江さんは、「ココロのバリアフリー計画」に本気で取り組むようになった。克明さんはこう話す。
「それまで彼女は、自分で頑張って一歩でも二歩でも歩いていく姿が周りに勇気を与えると信じて、2年間、トレーニングを頑張ってきました。でも、貫さんとの出会いからバリアフリーへの期待が高まっていることに気がついて、“私はそっちもやるべきなんだ”と思ったそうです。それでリハビリを続けながら、『ココロのバリアフリー』の活動にも力を入れるようになったんです」
貫さんは、君江さんの存在が多くのことを教えてくれたと言う。
「うちの会社でも君ちゃんにセミナーをやってもらっています。すると、社員やスタッフの社会性が上がる。僕を含めてみんな、電車で車椅子の人を手助けしたり、目の不自由な方を援助したりできるようになった。それはなぜか。
当事者に触れているからなんですよ。怖くない。もし断られても“気をつけて行ってくださいね”と言える。車椅子に触れる機会が増えたおかげで、車椅子の方が危ない状況にあったら助けることもできるようになったんです」
バリアフリーという言葉は浸透しつつあるが、設備面のバリア以上に、気持ちのバリアは強固なまま。車椅子の人が来るとなったら、入り口は段差をなくしてスロープをつけなきゃならない、店内もトイレも広くしなきゃならない──、そんな思い込みが店側には根強くある。
君江さんが言う。
「車椅子ユーザーは多種多様だし、症状も、困りごとも、それぞれ違います。そのひとつひとつに店側が対応できなくても、ウエルカムな気持ちと詳しい情報さえあれば、あとは自分で判断できますよね。
例えば、この段差であれば私の車椅子なら行けるなとか、階段があるならマッチョな友達を誘っておんぶしてもらおうとか(笑)。障害のある人にやさしいお店は、すべてのお客さんにとってもやさしいはずです」
君江さんには現在、飲食業やサービス業といった企業からの講演依頼が相次ぐ。パラリンピックに向けてバリアフリーに関する講演や相談も多いほか、自治体のセミナー講師を引き受けることもある。
そんな君江さんの活動を、貫さんは最初から見てきた。
「最初は、人前で話すときも声が震えて手が震えて“大丈夫かいな”という感じでしたよ。活動も小さくて、講演も数十人を相手に話していたのが、いまやうちの総会などでは1000人、2000人の前で話をすることもある。そういうシーンがどんどん増えて、堂々としゃべれるようになっていますね。
君ちゃんにしてみても、『串カツ田中』を1店舗目から知っているので、僕が社長として成長していく姿を見て楽しかっただろうし、僕も君ちゃんの成長していく姿を見ていて、すごく楽しかったんです。お互いに協力しながらやってきましたし、これからもそうしていきたいですね」