「口は災いのもと」「自業自得」。自分というものを貫いた結果、招いた事態は“出入り禁止”ー。“若気の至り”から“大人の事情”まで、今だから笑えるエピソードを芸能評論家の宝泉薫が振り返る!
“伝説”の局部ポロリ…下半身にはご用心!
芸能人の出禁ヒストリー。なかでも、最大の伝説といえるのが笑福亭鶴瓶の「股間露出」事件だ。
1975年、テレビ東京(当時は東京12チャンネル)の生放送バラエティー『独占!男の時間』の温泉コーナー中に股間を露出。まだ20代前半だった鶴瓶はリハーサルでスタッフにバカにされたことへの腹いせとして、この挙に及んだという。
しかも、話はこれで終わらない。その2年後、この番組の最終回にまた呼ばれた鶴瓶は再び下半身を露出。そればかりか、局内の池に飛び込み、当時の社長が可愛がっていた高価な錦鯉を死なせてしまった。これにより、その後売れっ子になってからも、テレ東とは絶縁状態が続いたのである。
しかし、2001年にテレ東系列のテレビ大阪で『きらきらアフロ』がスタート。その東京収録で、久々にテレビ東京の局内へと足を踏み入れた。さらに、その11年後、この番組がリニューアルを機にテレ東制作になったことで、出禁が完全解除となるわけだ。
本人も、感慨深かったようでこんなコメントを残した。
「人間ってやっぱり、恨みは水に流してくれるわけですよ。こっちも、ものすごう反省してます。35年ですか……。そんだけ出てなかったというのは、よっぽど怒ってはったんやろなということで」
ただ、テレ東がそこまで怒ったのにも理由がある。民放のなかでも後発局ゆえ、当時はお色気番組が頼みの綱。そこを揶揄されることも多く、局にとってはコンプレックスでもあったからだ。
前出の『独占!男の時間』が終了したのも、お色気路線を脱したいという事情が関係していた。それが不満だった司会の山城新伍は最終回で「(局のトップは)『男の時間』のハダカは低俗だというが、ハダカに高級も低級もあるものか」と発言。
これが局の怒りを買い同局の『木曜洋画劇場』の解説からも降ろされてしまった。こちらもその後、7年間にわたって出禁が続くこととなる。