死別、シングルマザー、親の介護、大病、家族共倒れ……思いがけず人生の困難に直面するたび、同じ苦労を抱える人々の実態を調べ、「社会の問題点」を鋭く見抜いてきた評論家。80代となり自身も老いのつらさを痛感する今、人生100年時代に誰もが安心して老いることのできる社会を模索している。健康寿命を超え、ヨタヨタ・ヘロヘロ生きる70代~90代を『ヨタヘロ期』と命名。わが身をもって示す老後を明るく生きる秘訣とは―。
このままでは医療保険制度は破綻する
最初はチリチリとした軽い痛みだった。講演会などで全国を飛び回っていたある日、評論家の樋口恵子さん(88)は空港から帰る途中に下腹部が重だるく感じた。10日ほど様子を見たが、徐々に膨満感がひどくなる。
放射線診断医の娘が勤務する総合病院の夜間診療で診てもらうと、胸腹部大動脈瘤が4個も見つかった。しかも破裂する危険があり一刻を争うとの診断。そのまま救急車で専門病院に転院し、夜中に緊急手術を受けた。
「別に苦しくもなかったし、ビックリしちゃってねー。恐ろしいと感じる間もなく、ストレッチャーで運ばれながら病状説明を受けたんですよ。手術台の上で最後に考えたのは“脱がされたスリップどこ行ったかな”と(笑)。娘の勤め先に行くから、いい下着に着替えていったのに、もったいないことしたなーと(笑)」
当時、77歳の樋口さん。手術で動脈瘤3個を除去して人工血管に置換し、危機を脱した。だが、残り1個は取りにくい場所にあり、今でも爆弾を抱えている。
大変だったのは、手術後のリハビリだ。
「地獄でしたね。まだフラフラしているのに、“起きろ、立て、歩け”と言うんですよ。“冗談じゃない!”と思ったけど、尻を叩かれんばかりの勢いでした。手術後、リハビリに取り組まず、大事にされすぎて、足も頭も弱ってしまった高齢者を医師たちはたくさん見てきたそうなんです」
3週間後に退院した。胸から背中にかけてL字型に数十センチの手術創が残っており、術後2、3か月はときどき激烈な痛みが走る。娘とふたり暮らしだが昼間は仕事でいないので、樋口さんはひとり布団の上でこらえた。
「痛いよー。痛いよー」
泣きながら叫ぶと、愛猫が枕元に来て、樋口さんの手の甲をなめてくれたという。
「猫の舌はザラザラしているから長い間なめられると痛くて(笑)。でも、猫になぐさめられたことは忘れられませんね」
大病を経て、考えさせられたことがある。
難しい手術だったので保険診療でも相当額の支払いを覚悟していたが、実際に手術費用として請求されたのは13万円あまりだった。
「日本の医療保険制度はこんなにも患者に恩恵をもたらす制度なのか。そんな国に生まれた幸せを感じて、本当に涙が出てきました。その次に、寒気がしたんです。人生100年時代と言われ始めていましたから、このままでは高齢者の医療費で医療保険制度は破綻するだろうと……。
だから今、後期高齢者の医療費負担を原則2割に上げようという案が議論されていますが、私個人としては反対できません。低所得者は1割のまま据え置くのが条件ですが」
評論家としての樋口さんのキャリアは半世紀に及ぶ。東京家政大学で女性学を教える一方、NPO法人『高齢社会をよくする女性の会』を立ち上げ、女性の地位向上や高齢者福祉の拡充などに尽力してきた。これまで書いた著書は60冊以上にのぼる。
樋口さんとは旧知の仲で、主婦の投稿誌『わいふ』前編集長の田中喜美子さん(90)は、樋口さんの魅力をこう表現する。
「樋口さんは頭の中だけでいじくり回して評論するのではなく、具体的な自分の体験をもとにして、問題点がどこにあるのかパッとつかまえて、的確な言葉で表現するのが抜群にうまいんですよね。だから彼女の言葉に多くの人が心を動かされ、自分のこととして受け止められるんだと思いますよ」