マギーズとの出会いから、暮らしの保健室へ
2008年、秋山さんは運命的な出会いをする。『国際がん看護セミナー』にプレゼンテーターとして参加した際、イギリスの『マギーズ・キャンサー・ケアリングセンター』(以下、マギーズセンター)のセンター長と一緒に登壇したのだ。
マギーズセンターは1996年にイギリスで創設された無料相談支援の場で、がんに影響を受けるすべての人に開かれた「第2のわが家」だった。マギーズセンターのような居場所が日本にもあれば、多くの人が救われる。
「旧来のがん治療が変化して、外来中心になってきました。そうやって治療してきた患者さんが訪問看護に切り替えるときには、もう次の手立てがなかったりする。すぐに亡くなってしまう方も多い。もっと早い段階から、訪問看護の情報が届いていたら……と思っていました。
病院では治療の相談はできますが、生活や仕事、家族という“暮らしの相談”が欠けてしまうんです。どうしたらいいんだろうと考えていたときに、マギーズセンターに出会い、必要なのはこれだ! と思ったんです」
以来、秋山さんは、マギーズのような場所を日本で作りたいと、いたるところでつぶやくようになった。'09年春には、実際にイギリスのマギーズセンターを仲間と視察。
感銘を受けた秋山さんは、前出の浦口さんにも「イギリスのマギーズセンターに行ってみて!」と勧め、浦口さんは同年9月に訪英している。さらに'10年2月には、イギリスからマギーズセンターの最高責任者を日本に呼び、話をしてもらった。
マギーズセンターでは、医師は後ろに控えて、看護師を信頼していた。がんの当事者が気軽に訪れ、安心して話をしたり、必要なサポートを受けたりするなかで、自分の力を取り戻すことを目指していたのだ。
どうしたらこのような施設を日本に作れるだろう、と試行錯誤をする中、秋山さんは、「暮らし慣れた新宿で最期を」というシンポジウムで在宅の看取りの講演をした。
すると、東京・新宿区の民生委員をしている人から「本屋をやっているところを安く貸すから、中を改装して、あなた方の目指す社会貢献できるものを作ってみませんか?」と、声をかけられたのだ。
こうして都営団地・新宿戸山ハイツの一角に誕生したのが、'11年7月にオープンした『暮らしの保健室』。地域住民の暮らしや健康、医療、介護の総合的な相談施設として、大切な居場所になっている。
この「暮らしの保健室」は、'17年のグッドデザイン賞を受賞している。室内がひと目で見渡せる入りやすい玄関、オープンキッチンに大きなセンターテーブルも、ひとりになれる空間もある。窓からは街路樹の緑が見える。家庭的な雰囲気は、イギリスのマギーズセンターを意識したもの。ここは浦口さんが設計した。
「人の心をほぐすのは人の力だと思っていたけれど“その力は、建築や造園にもあるんだ”と、イギリスのマギーズであらためて思いました」
と、浦口さん。秋山さんが続ける。
「マギーズを日本に作りたいという思いは、形にして見せないと信用してもらえないだろうと考えていました。実際に見て、暮らしの保健室のスタイルはいいね、と知ってもらいたいと思ったんです」
暮らしの保健室で毎週、ボランティアをしている吉川厚子さんは、自身も妹を在宅で看取った利用者のひとりだ。
「暮らしの保健室では、秋山さんにお世話になった人が“お手伝いしたい”と集まるんです」(吉川さん)
25年前、吉川さんの妹は乳がんが転移し、抗がん剤治療を自分の意思でやめて、自宅で半年過ごしたのちに亡くなった。当時、妹の息子は中学1年生。余命3か月と言われたが、半年以上、静かに家族と過ごすことができた。
昨日まで元気だったのに……というほど、あっけなく亡くなったが、ホスピス・ケアがうまくいくと苦しまずにストンと逝ってしまうものだという。