今年で第71回目を迎えるNHK紅白歌合戦。その華々しいステージの模様を届けようと、29日から行われるリハーサルから本番まで、毎年多くの報道陣が取材に訪れる。そんな紅白取材について、ベテランの記者に話を聞くと、みな口を揃えて言う。「昔の取材は、楽しかった」と――。舞台裏ではいったいどんなことが起きていたのか? いまだから話せる“取材裏”を聞いた。
・Hさん:カメラマン。初めての紅白取材は2000年。直近8年連続で現場へ
・Tさん:週刊誌記者として1994年から3年間取材。当時はまだ新人記者
・Yさん:スポーツ紙の女性記者。1990〜2000年まで10年間、紅白を取材
美川憲一から「ちょっと何してんのよ」
――なんやかんや大晦日の風物詩でもある紅白。スポーツ紙や週刊誌にとっても「紅白取材」は毎年恒例、欠かせないものですよね。
Yさん「誰かしら記者やカメラマンが毎年“紅白要員”として駆り出されてるからね(笑)。私は1990年から10年間、当時はスポーツ新聞の放送担当として取材に行ってました。1990年というと……(資料を見ながら)長渕剛が初登場、同じく初登場のドリカムが紅組のトップバッターを務めた年ですね」
Tさん「ドリカムが初登場って時代を感じます(笑)。僕が取材に行ったのは1994年から1996年まで。当時はまだ新人記者で若かった!」
Hさん「僕はカメラマンとして2000年に初めて取材に参加しました。僕が取材に行き始めたころは、まだ少し自由なところもありましたが、この10年で、かなり取材の規制が厳しくなりましたよ。昔は相当、自由だったんですよね?」
Yさん「うん、当時は(松田)聖子ちゃんが目の前を歩いてたりね。ソファに座ってたら、向かいに(工藤)静香がいて雑談していたり。私たちマスコミも全然警戒もされてない。それが当たり前の時代だった」
Tさん「そうですね。僕は週刊誌の記者で、掲載されるのが年明けの号だから、スポーツ紙記者と同じ取材をしてもスポーツ紙で先に出ちゃうから意味がなくて。だから、ちょっとゲリラ的な動きをして、本人が楽屋のほうに来て1人になったときに話しかけに行ったり。トイレで手を洗ってるところで話しかけても、ちゃんと答えてくれるんだよね」
Hさん「今ではありえないですね(笑)」
Tさん「中でも特に覚えてるのが、美川憲一さん。当時、僕はまだ新人で、ひとり佇んでたら美川さんの方から“ちょっと何してんのよ”って。“私に聞きたいことあるでしょ?”くらいな勢いなの。アタフタしながらも聞いたらちゃんと答えてくれて。最後に名刺を出したら、あの口調で“よく書きなさいよ”と。“まだ若いんでしょう? 私も頑張るから、アンタも頑張りなさいよ”って去っていって、すごくいい人だったな(笑)。
当時は取材に入ってたのがスポーツ紙と週刊誌くらい。だから、ひとつひとつの媒体との信頼関係も厚かった。変なことする人もいなかったし」
Yさん「NHKもうまかったんだよね。事務所の顔も立てつつ、NHKの立場も守りつつ、そして記者に対してサービスもしてくれてた。こっちがどんな“画”が欲しいかわかってて。歌手の入りの時間、帰りの時間なんかも教えてくれるの」
Tさん「そう。だから、駐車場に歌手の方が到着してホールに入ってくるところを狙って私服姿を撮ったりもできた。当時も本当はOKではなかったんだけど、おおらかな時代だったから。そこで八代亜紀さんとか、松田聖子さんとか、ジャニーズの私服を新年一発目の号のグラビアページに載せたり。
NHKは事務所の言いなりにはならなかった。事務所がたとえ文句を言っても、“それはダメだよ、マスコミ呼んでるんだから応えなきゃ”って僕たちの目の前で説得してて、僕らもそれを見てたから下手なことはできなかったんだよね(笑)」