「俺はこれまで1331人と寝たけれど、これは世界第3位なんだ」 

 生前、映画のイベントの席でこう語っていたのは、エースのジョーこと俳優の宍戸錠さん。自宅でヒッソリと息を引き取っていたのは、2020年1月18日のことだった。

「2013年に世田谷区の豪邸が全焼してから、近くの賃貸マンションに部屋を借りてひとりで住んでいたんです。錠さんが亡くなってから3日後、身の回りの世話をするためにたびたび訪れていた長女が発見したのです。リビングでうつぶせの状態で倒れていたそうですよ」(スポーツ紙記者)

 錠さんは3人の子どもやその孫に囲まれていたわけではなかった。亡くなる少し前には、コンビニでお弁当を購入する姿が目撃されるなど、昭和の大スターの最後は、孤独で寂しいものだった。そこにはこんな理由があったよう。

「家庭を顧みない錠さんでしたから、子育ては奥さんが担っていた。家では夫婦ゲンカをして錠さんが手をあげることもあったそう。破天荒な人でしたから、家族を振り回す父親と子どもたちとの間には軋轢がうまれたのです。その溝をなんとか繋いでいたのが奥さんだったのですが、2010年に病気で他界。これを機にさらに溝は深くなった」(ワイドショーデスク)

長男・開との間にできた溝

 妻が亡くなった8か月後には、こんなエピソードも。

長男の宍戸開さんが一般人の女性と結婚したのですが、錠さんはテレビの報道でその事実を初めて知ったのです。礼儀に厳しい錠さんは“結婚するのに親に挨拶もないのか!”と怒ってしまい、親子の溝は決定的なものになったのです」(前出・ワイドショーデスク)

 さらに次男とは、金銭トラブルで揉めていたとも。

「次男は以前、錠さんのマネージャーみたいなことをやっていたようだけど、錠さんは“アイツは母親の遺産4000万円を持ち逃げしたから絶縁した”と言ってました。実際は亡くなる少し前に、奥さんがマンションを買ってあげたようなんです。1番下だから、心配だったんじゃないかなぁ」(近隣住民)

 近年ではきょうだいで錠さんと唯一、接点があったのは長女だけ。高齢になった父親の仕事をサポートし、身の回りの世話もして支えていた。

 破天荒な父親が亡くなり、残された家族3人、手を取り合ってお互いを支えていくのかと思いきや、長女は『婦人公論』でのインタビューで、

《3歳下の弟で俳優の開と、5歳下の弟には葬儀を終えてから手紙で報告するつもりでしたが、報道を見たのでしょう、開から共通の友人を介して連絡がありました。それは、子どもたち3人で見送りをしようというメッセージでした。でも、その時にはすでに葬儀を終えていたこともあり、「そんなことは気にせず、自分の仕事をしなさい」と、友人に開へのメッセージを託しました》

 と、語っている。