親に虐待されたことはない。ただ、典型的な家庭像を望む父とそれに従っている母を見て「何か違う」と思いながら育った。
「姉が摂食障害で苦しんでいた時期があったので、やはりどこか家族関係が歪んでいたのかなぁとは思います。僕自身は小・中学校のころはごく普通で、中学ではサッカーをやっていました。でも高校入学後、山田かまちを好きになって、それを周りで理解してくれる友人がいなくて(笑)」
山田かまちは、1960年に生まれ、17歳で夭逝後、詩や絵画などが遺族によって発表されて人気を博した人物。絵や詩文は少年から青年へと向かう心の揺れや魂の叫びに満ちており、その“孤独”に上田さんは憧れたという。ちなみに私は高校時代に三島由紀夫にハマり、「好きで生まれてきたわけではないのだから、最後は自分の選択で人生を終わらせるべきだ」という考えに固執して学校へ行けなくなった時期がある。10代の心は非常に脆く繊細なのだと思う。
「高校時代は休み時間、いつも図書室で本を読んでいました。『若きウェルテルの悩み』とか。美術部だったので淡々とひとりで絵を描いたり詩を書いたり。友人との交流もトラブルもなかったです。でも、誰かと一緒に落ち着ける“居場所”が欲しいなぁと感じていましたね」
恋愛トラブルと将来への不安
目標もなく、やりたいこともない。大学へ行く必然性も感じなかったが、やることがないため一浪して、ある有名私立大学へ進んだ。
学生時代は音楽にハマってヒップホップを楽しんだりもした。一方で、親にあまり経済的負担をかけまいと、朝からコンビニやティッシュ配りのバイトもした。バイトと大学と趣味で多忙になったことに加えて、将来の不安が急に重くのしかかってきて、ある日ふと、バイトをサボってしまう。
さらに、中学時代の同級生と一緒にやっていたフットサルチームでトラブルが起きる。マネージャーの女性を好きになり、断られても何度も告白し、それが仲間にバレて総スカンを食ったと彼は感じていた。高校、大学とあまり友人に恵まれなかった彼にとって、中学時代の友人は大切な存在だったが、その一件で自分がしでかしてしまったことなのに人間不信となった。
「なんだか、何もかもどうでもいいというか気力がなくなってしまったんです。大学はなんとか卒業したけど就職する気にもなれず、そこから4年近くひきこもりました。両親には“働かないのか”とよく言われていましたね。ネットを使って音楽関係の器材を安く仕入れて売ってみたり、ホームページを作るショップをネット上に作ったりしたんですが、儲けはほとんど出なかった」