1時間半続いた父の“かわいがり”
長男が父である自分に反旗を翻したと感じたのか、貴乃花は怒り狂った。
「父から僕の携帯に嵐のような着信が入るようになりました。電話に出ると“テメェ! 俺の家族を奪いやがって!”と電話の向こうで怒鳴っていて、とても話し合いができる状態ではありませんでした」
それでも優一氏は父と向き合おうとした。貴乃花の怒号を聞きながら「今のままでは帰せません」と繰り返した。
「そんなやり取りが何日か続いたんですが、とうとう“お前がケンカを売るなら買ってやる!”といって、父が僕の家までやって来たんです。お酒が入っていたのかもしれません。いや、お酒が入っていたのか、いないのかもわからない状態でした」
怒りに身も心も支配されてしまった父と向かい合った場面を、はっきりと覚えている。
「'17年2月12日の夕方でした。外へ出て行くと、父が見たこともない形相で突然つかみかかってきました。そのまま道端で1時間半くらいつかみ合って……殴られて……。通りがかった人も、ギョッとして、逃げるように通り過ぎて行きました」
初めて受ける横綱の力は恐ろしいほど強く、優一氏は恐怖を感じた。「人目につくから家に行きましょう」と優一氏が言った。貴乃花に髪をつかまれたまま、引きずられるようにして実家の中へ連れていかれ、誰もいない広いリビングに正座させられた。
「さらに理不尽に僕を痛めつけると気が済んだのか、父は“帰れ!”と吐き捨てるように言って、解放されました」
やっとの思いで母と妹たちが待つマンションに帰った。
「母があまりに心配するので病院に行きました。でも“父にやられた”とはさすがに言えないですから“酔った親戚とケンカになって”とウソをついて診てもらいました。父と息子の間ですむことだと信じていました」
数日後、貴乃花は優一氏のもとを訪れ謝罪したという。
「母にも頭を下げてくれましたし、“酒はやめる”とも約束してくれました。それで母も妹たちもやっと実家に戻ることになりました」
だが、この事件を境に、家庭内はさらにギクシャクしだす。貴乃花は品川区内の自宅には、ほとんど帰ってこないようになった。ほぼ毎日、江東区内にあった『貴乃花部屋』の自室で寝起きするように。
「もちろん父の仕事上、お弟子さんの近くにいなければいけないこともあります。しかし、僕や母に対する“気まずさ”もあったのかもしれません。でも、僕らは“お酒はやめてくれたし、とにかくよかった”“これも笑い話になるね”と話していました。みんな、また家族5人で笑ってご飯を食べられる関係に戻りたかったですから。父がいつ帰ってきてくれてもいいように、父の座る椅子はいつもキレイにして待っていました」
貴乃花の巡業先に優一氏自ら出向いて、靴職人としての仕事のことや近況を報告した。息子から寄り添うことで関係を修復しよう……そんな日々が続いた。だがしかし、息子の期待は裏切られた。
「2か月もすると酔っ払った父から電話がかかってくるようになりました。“お前が俺の家族を壊した!”“お前が俺の家族を奪った!”と呂律の回らない大声で怒鳴り続けるような電話でした」
貴乃花が日本相撲協会を退職するころには、その連絡すらもなくなり、完全に音信不通に。
「“連絡もよこさない”と父は言っていますが、父が携帯番号を突然変えてしまったので、こっちが連絡したくてもできません。母と離婚したときも、父から僕ら子どもたちに電話1本、メール1通ありません。連絡もとれないのに“連絡がない”とか“勘当だ”というのは理解できません。“離婚は優一のせいです”という週刊誌のインタビューを見たときは、膝から崩れ落ちるような気持ちでした」
昨年11月に週刊誌に掲載された優一氏の“バイク窃盗疑惑”――貴乃花が所有していたオートバイを優一氏が盗み出して勝手に売却してしまった、と報じられたが、これも「事実と違う」と言う。