1億円でヘアヌード写真集を打診されて
翌年の'86年には『冬のオペラグラス』でソロデビュー。オリコン1位に輝いたものの、同年グループから卒業。そして'90年にはいったん、芸能界から引退することに。
「ワンピースの水着だからとOKしたお仕事だったのに、いざ撮影現場に行ってみたらビキニが用意されていたり……。そういう事前のお話と違うことが重なって、人間不信になってしまったんです」
ソロアルバムに収録された曲では、ペンネームで作詞を行っていた新田。引退後は、作詞家など文章を書く仕事をするつもりだったという。
「いくつか書くお仕事もいただいたのですが、人生経験も乏しかったのですぐに自分の引き出しが空っぽになってしまって。それで引き出しを増やすためにも、いろんな経験ができるタレントに復帰することにしました」
こうして表舞台に再びカムバックしたものの、復帰後に待ち受けていたのは厳しい現実だった。
「いただくオファーが、暴露本やヘアヌード写真集ばかりで……。人間不信で引退したのに、今度は出版社不信になりました(苦笑)。復帰した'93年がヘアヌードブームだったということもあり、私のところにも1億円でお話がありました」
高額ギャラに心が揺らいだときもあったそうだが、母親の言葉もありオファーは断った。
「母親に相談したとき、“そんなふうに、あなたを産んだつもりはない”と悲しそうに言われてしまって、お金で魂を売っちゃダメだなって。1億円以上ならまた考えたかもしれませんが、それ以上の額を提示するところもなかったので(笑)」
1度引退したことで、よかったことも。
「おニャン子時代は仕事が入ったと言われると憂鬱(ゆううつ)だったのですが1度、芸能界から離れたことで、お仕事のあるありがたみを実感できるようになり人に感謝できるようになりました。きっぷの買い方とか一般常識を身につけられたことで、ひとりで仕事現場に行くこともできますしね」