「冷蔵庫とか台所を見せるのって、女性が下着を人に見せるのと同じくらい嫌じゃないですか。でも、奥様方はそれを見たくてしょうがないんです。外観が素晴らしい家の人がセコイものを食べてると嬉しいんですよ。“人の不幸は蜜の味”って言うでしょ」
1985年に朝のワイドショー番組『ルックルックこんにちは』(日本テレビ系)の1コーナーとしてスタートし、その後もさまざまな番組の中で放送され、30年以上続いた『突撃!隣の晩ごはん』。巨大なしゃもじを手に、クセのある笑顔で無数の玄関を突破してきたヨネスケだが、本職が落語家ということを忘れている人も少なくないのでは?
「師匠から“芸は盗め、その代わり売れ方を教えてやる”と言われたんです。落語は後でもできるから、テレビでもなんでも出て、とにかく売れろ、と。だから親しみやすい名前にしようと思って、師匠からいただいた名前をカタカナに。普通だったら破門ですよ。でも、“こんな仕事ばかりやってたら桂一門の名を汚してしまいますので”と、師匠に伝えたら“いいこと言うじゃねえか”って」
タレントとしての活動はヨネスケ、落語家としては桂米助と分けるようになったのは、こんな理由だったのだ。
意外にもオーディションで起用
そんな“ヨネスケ”の代名詞ともいえるコーナーに起用されたキッカケは、意外にもオーディション。
「そのころ、けっこうオーディションを受けていたんですけど落ち続けていて。“どうせまた落ちるんだろ”と思って適当に答えていたら、それが面白がられた。僕は舞台でお客さんと生で接していたから、人と接するのはうまいだろうということで選ばれたんだと思います」
一般家庭をアポなしで訪れて、その家の人々と触れ合いながら、晩ごはんのおかずを分けてもらうというロケをやり始めた当初は、面白いのかどうかもわからなかった。もともと1クールで終わると思っていたそうだが、あれよあれよとお茶の間に定着。
「突撃ロケに慣れなかったから、逆に長く続いたんじゃないかな。毎回ドキドキしていました。変な話、地震や火事が起きたら、突撃ロケをやらなくてすむかな、なんて。中に入れてくれた家にはすごく感謝しました」
プレッシャーで研ぎ澄まされた感覚もある。
「入れるか、入れないかが、わかるようになりました。本当に嫌がってるのか、テレビに緊張しているだけで、もうひと押しすれば入れるのか」