同誌ではまずBさんの知人の話として、「(Bさんは)お金に困っている様子はない」「父子関係がギクシャクした様子もない」と、春馬さんとの関係は良好だったとし、さらに「元奥さん(A子さん)はお金遣いが少々荒いタイプ」と添えられていた。

 そして当のBさんの話。報道をくまなくチェックしていたのか、春馬さんとは「20年ぶりの再会」ではなく「芸能界デビュー後から連絡をしていた」と訂正し、遺産相続については《私自身は息子の遺産はまったくあてにしていません》とするも、

《この数年、(春馬は)母と折り合いが悪く、本人も悩んでいるようでした。いくら母と子といっても、金銭的なことでもめていると聞いて、私も心配はしていたのですが……》

 と、あらためて母子間に金銭トラブルがあったことを強調したのだった。

 すると、『週刊文春』12月31日号に“行方不明”になっていたA子さんが登場する。涙ながらに重い口を開いたという彼女は、春馬さんが役者として稼ぐようになった後も「仕事を続けていた」とし、「役員報酬」を得ていたことや「車を買ってもらった」ことは認めるも「息子に頼った生活をしたことはない」と、一連の報道を否定。さらに、

《ここ七年は経済的な援助と言われるようなものは全く受けておりません。なのでここ数年間本人がどんな心境だったのか、私も全く心当たりがなく……》

 春馬さんとは連絡を取っていなかったことから、“経済的援助”はなかったと繰り返していた。そして故人の埋葬に話が及ぶと、

《まだお墓のことまで考える余裕がありません。ゆくゆくは遺族として為すべきことは必ず行なっていくつもりです。ただ……、もう少し心の整理をつけるまでお時間を頂ければと思います》

 子を失った母の悲しみを吐露していたA子さん。春馬さんが大事に保管していたファンからの手紙などの遺品を手に感謝の意を述べるも、遺産問題について語られることはなかった。

実父が急死、そして実母は…

 そして今年、2月9日発売の『女性自身』2月23日号で事態は急展開を迎える。《実父が遺産問題渦中に急死!》として、Bさんが1月中旬に亡くなったことを報じたのだ。心臓に持病があり「俺はいつ死ぬかわからない」と周囲に話していたというBさんは、同誌によれば行きつけの飲食店を後にしてワンルームの自宅アパートで倒れたとある。

 そんなBさんが生前、取材班にこぼしていたことも付け加えられた。

いまの私お願いは、春馬の墓がどこかに建てられて参ることができるようになること。そして、コロナのために延期になってしまいましたが、仲よくしてくださった方やファンの方のためにも偲ぶ会が開催されること、その2つだけ……》

 子を追うようにこの世を去った父。そして、この訃報から10日もしないうちに冒頭のA子さんによる“ロングインタビュー”が掲載されたのだ。以前に初告白した『文春』ではなく舞台は『新潮』に移ったわけだが、今回は実に“じょう舌”だった。

 Bさんが亡くなったことを弁護士を通して知ったという元妻は《それはショックでした》としながらも、《私は香典を送りましたが、やっぱり最低限のことはね……。だからもう、遺産の件はこれでおしまいです》と遺産問題の“解決”宣言をしたのだ。

 その後も、春馬さんの葬儀に内縁妻を連れてやってきたというBさんがその1か月後に弁護士を立ててきた、などと元夫に対する明らかな不満もぶちまけていた。

《彼がすごく主張してきた部分があって。そう、春馬の遺産を欲しがってきたから争うことになった。彼と春馬を最後に会わせてあげたのは私なのに、感謝の言葉の一つもないどころか、彼は私に対して“いい車に乗っているな”とか“随分とよい生活をしているね”と言い放った

春馬は私が親権を持ち、育てた子です。(離婚時に)一円も貰わずにね。それなのに遺産の権利を主張してきてすごく迷惑でした》