吹っ切れたと思っても見る津波の夢
今は結婚して子どもをもうけた駒場さん。1人目の子どもは4歳。現在、2人目が生まれようとしている。
「『結婚できないかも?』というよりは、『明日、死ぬかも。生きられない』と思っていました。『もう終わったな』と思ったこともありましたが、今は家庭もあるのでそうは思わなくなりました。夫は一時的に原発で働いていたので、出産については周囲に言われたことがあって、いろいろ思うことも多かったです。1人目を妊娠したときに甲状腺がんの検査をして、何かあったらどうしようと思いましたが、異常はありませんでした」
10年前の被災体験が、いまだにストレスになっている。やはり、自宅が津波で流されるのを目の前で見たことが影響しているのかもしれない。
「思い返しても、何も戻ってこないですから……。自分でも吹っ切れたと思っていたんですが、よく夢を見るんです。職場で地震が起きて、“津波が来るんだって”と話をしているんです」
最近も震災の日を思い出させる出来事があった。'21年2月13日23時7分、福島沖でマグニチュード7・3の地震が発生。最も揺れた地域であった相馬市は震度6強を観測し、相馬市や隣接する新地町の間で、常磐道が通行止めになり、市内では落石もあった。駒場さんはこの夜、眠れず、テレビで被害情報を見ていた。
「あの夜は、不安で眠れませんでした。地震後、すぐに『津波の心配はありません』と伝えられました。でも私、津波の予報を信用してないんです。震災の日も『津波は3メートル』という警報だったんですが、実際には10メートルくらい(筆者注:観測データでは9・3メートル以上)でしたから。地震があって、津波があって、ライフラインがだめになる。そして避難所に行く──二度とあんな経験はしたくありません」
浜に生まれた駒場さんは、これからも浜で過ごすことを選んだ。子どもを預けている保育園でも、津波を想定したことを含めて、避難訓練をしている。
「保育園にいるときに津波が来れば、園が誘導をしてくれると思います。しかし、いつどこで津波が発生するかはわかりません。海沿いの公園で子どもを遊ばせているときに津波が来たらどうしようと思ったりもします。この取材でも、津波が来たらどこへ避難しようと、無意識に考えています。子どもを抱えていると、子どもを優先しないといけないですから。
当時私が避難した場所でも、今の私の子どもと同じような年齢の子どもがいました。あの子たちの親の気持ちを考えると、気が気ではなかったんだろうな……」
いまだ癒えることのない傷を抱えながら、親となった駒場さんの相馬市での暮らしは続いていく。
取材・文/渋井哲也(しぶい・てつや)◎ジャーナリスト。長野日報を経てフリー。東日本大震災以後、被災地で継続して取材を重ねている。『ルポ 平成ネット犯罪』(筑摩書房)ほか著書多数。