飲み会を「断る」女

 出産を経験した外交官は史上5人目で、苦難も多かった。過去にWEBメディアの取材で小野広報官は「出産後に復帰すると“本当に君たちみたいな人の置き場には困る”と言われた」と打ち明けている。

 いちばんつらかったことについては、「独身女性のように夜中とか土日も働けて、幹部に誘われたときにはちゃんと飲み会にも行ける人じゃないとダメだ」と上司から何度も言われたことを挙げている。

「断らない」ことで出世の道を歩んできた山田氏とは真逆に、小野広報官は「断る」ことで育児と仕事を両立させ、キャリアを積み上げてきた。

入省翌年の1989年、雑誌『時評』で奮闘ぶりが取り上げられた
入省翌年の1989年、雑誌『時評』で奮闘ぶりが取り上げられた
【写真】入省翌年の1989年、雑誌に“新人類官僚”として登場した若き日の小野氏

 そんな彼女のルーツとは。冒頭の小学校の担任、千葉恵子さん(76)が語る。

「ヒッコちゃんはとにかく頭がよくて、日能研の全国テストで日本一になったことも。

 自分から前に出るタイプではないけど、しっかりクラスのことを考えていて、縁の下の力持ちでした。 

 当時、新米教師だった私は彼女を頼りにしていましたし、友達も勉強でわからないことがあると彼女に聞きに行っていましたね」

外務省の先輩・雅子さまとは今も交流

 地元の小学校を卒業した後、私立の女子学院中学校・高等学校に入学。中学時代には「第24回青少年読書感想文全国コンクール」で内閣総理大臣賞を受賞したこともある。

 一橋大学時代には「平和に貢献したい」という思いから外交官になることを決意した。

 外務省の1年先輩には、後に現在の天皇陛下と結婚された小和田雅子さんがおり、イギリス研修で留学したオックスフォード大学時代には一緒にスキーや温泉旅行へ行くなど、親交を深めたという。

外務省時代の雅子さま(1988年)
外務省時代の雅子さま(1988年)

 今でも雅子さまとの交流があるという小野広報官だが、実は入省前から皇室との“意外な”接点があったようだ。