性転換手術でモロッコに渡航
30歳のときモロッコへ渡り、性転換手術を受けた。すでに19歳で睾丸を摘出する去勢手術を闇医者から受けていたが、パリのクラブ歌手、コクシネルがモロッコで性転換手術を受けて男性から女性に生まれ変わったというニュースを知り、自分も完全な女性の身体を手に入れたいとの思いを募らせていたのだ。
「女になって愛される歓びを味わいたいという欲望はもちろんあったけど、それ以上に完璧な美でストリップショーをしてお客さんたちを喜ばせたいという気持ちが強くなったの。
ちょうどパリに青江の姉妹店をオープンするので、ママをやらないかって話があって、二つ返事でOKしたわ。もちろん目的は性転換手術!」
'72年4月にはパリで働きはじめ、10月には性転換手術のためにモロッコへ渡った。
青江の同期で、赤坂のゲイバー『ニュー春』を経営する春駒こと原田啓二さん(78)が当時を振り返る。
「まだ男性が女性になることが考えられない時代に、神を冒とくするとか頭がおかしいとか言われていたわ。“人間の急所をいじったりして、あんた死んじゃったらどうするの?”と言っても、それでもいいの、私は女になるのと。あの女はね、けっこう気が強いから、決めたら誰の言うことも聞かないのよ」
手術は残されていた男性器と肛門の間に孔を開け、造膣するものだった。内部臓器を除いた陰茎の表面を大陰唇および小陰唇とした。陰嚢皮膚は膣壁とし、尿道口は陰茎の根元に形成した。
「術後、傷口が化膿して高熱と激痛に見舞われたんだけど、ドクターに訴えても“問題ない”の一点張り。鏡で見て腐ってる部分を取り出して、結局自分で治しちゃった。人間生きようと思えばなんでもできるのね。皮膚の感覚と性感帯は残されたの。それはドクターに感謝しているわ!」
帰国後、世間の誹謗中傷に加え、仲間内で陰口を叩かれることもあった。だが、術後初めてのショーで味わった喜びは今でも忘れられない。
「それまではショーのときに突起物があったから、ガムテープで前張りしていたんだけど、その必要がなくなったことが何よりうれしかった。ちっちゃい下着で堂々とストリップできるようになったの」
2004年10月、性同一性障害者特例法が施行される。性別の変更が認められて戸籍上も女性(続柄は二女)となり、本名も「平原麻紀」と改名。麻紀さんは性転換手術や戸籍の変更をマスコミに公表し、性同一性障害の認定やニューハーフの戸籍の問題を動かす機運をつくった。