母と娘でカウンセリングへ
芸能界での活躍、骨髄バンク啓蒙運動の陰で、東は精神的な悩みも抱えていた。
自分がAC(アダルトチルドレン)なのだと知ったのは、37歳のときだ。
「あのころの私は、周囲の期待通りに振る舞いながら1人になると、訳のわからない焦燥感に押しつぶされそうだった。『生きていて何の意味があるのだろうか』なんて思い悩んでいたころでした」
アダルトチルドレンとは、子ども時代に、親との関係で何らかのトラウマ(心的外傷)を負ったと考えている成人のことで、その傷が現在の生きづらさやパーソナリティーに影響を及ぼす状態を指す。
「18年間の期待を裏切った」
大学受験に落ちた日、そう口にしたことを母は忘れてしまっていた。だが、母の言葉に東は、その後も長くとらわれていた。そのため、東は高校時代の記憶が抜け落ちている。これは「解離」と呼ばれる精神障害のひとつ。記憶、意識、感情、感覚、思考などの心の働きが、一部切り離されてしまっていたのだ。
「母に遠慮している自分を変えたかった。そばから見れば仲よし親子だけど、実は関係性は崩れていた。ちょうど父が亡くなった後で、大きな反省と未練もありました。もっと対話すべきだったなあという。とにかく母が生きているうちに関係を取り戻したい、そして本当の私を知ってほしいと思った。また、母自身にも、妻、母ではなく、それ以前のアイデンティティーを取り戻してほしいという思いがありました」
東は「カウンセリング」という心理療法を2人で受診したいと母に迫った。
しかし、母親の説得には2年もの時間がかかった。母親の英子さん(82)が言う。
「カウンセリングなんて言われても理解できないですよ。催眠術かけられるのかなって(笑)。でも、ちづるから『そうじゃないから』って何度も説得されて、受けました」
8か月、計12回にわたって母とカウンセリングを受けた。「変化はめちゃめちゃあった」と東は言う。
「それ以前は、母が傷つかないような、悲しませないような言動をしていたと思うんです。お互いに心配をかけてはいけないと思いがちだった。でも今は、『今日はしんどい』『私は嫌だ』と普通に言えるようになったんですね」
母親の英子さんは、自分の盲信に気づいたという。
「私は、21歳という若いときにあの子を産んで、それも未熟児だったから、余計になんとかちゃんと育てなきゃ、という気持ちがあった。だから、育児書を読みあさって『あの子のために』と頑張ってきた。それが、あの子につらい思いをさせてたなんて考えてもいませんでした。『ああ、そうだったの?』と素直に謝れました」
カウンセリングが終わって飲みに行った日、母は娘に謝罪の言葉を伝えたのだ。
東はその言葉を聞いて初めて、「私は母に謝ってほしかったんだ」と自覚したという。
夫の難病と向き合い、団体設立
東は、パートナーである堀川恭資さんと暮らして今年で26年目になる。堀川さんは、広告などにタレントやモデルなどをキャスティングする、キャスティング・コーディネーターをしていた。
共通の友人であるスタイリストから紹介されたのが出会いだった。
東の第一印象を堀川さんはこう振り返る。
「面白い人だなと思ったのと、ほかの芸能人とは違うなと思いましたね。すごく勉強熱心で、やっぱり会社員を経験しているせいかなとも思いました」
映画や食事に出かけるうちに距離を縮め、'95年には事実婚、'03年に入籍した。夫は飲食店を経営するようになり、幸せな生活を送っていた。
ところが2010年、突然堀川さんが「ジストニア痙性斜頸(けいせいしゃけい)」を発症してしまう。自分の意思とは関係なく、筋肉が収縮する症状が首や肩に生じるもので、頭が回転したり、前後左右に傾いたりする。
脳の機能がうまく働かなくなることが原因で発症するらしいが、詳細は明らかにはなっていない。東が言う。
「2年間は寝たきりでした。しんどかったのは、最初は病名がわからなかったこと。闘う相手がわからないのが気持ち悪かったですね。どう治療していいかもわからない」