なぜ、屋敷の家主はこのような嫌がらせを続けるのか。

 事情に詳しい地元住民が明かす。

「家主は数十年前に土地の境界線をめぐる裁判で負け、その恨みつらみがここ数年、噴出しているようだ。悪口を書き始めてから周囲がみな敵に見えているのではないか。関係のない住民が役所の人と一緒にいただけで告げ口されたと思い込んで敵視したり、自宅とは関係ない水路に事故防止のためフタをしても文句をつけたり。そもそも他人の家に平気で土足であがるような非常識な人だからね」

オレがどんなに悔しかったか

 家主の男性はひとり暮らし。言い分を聞くため自宅を訪ね、どうして悪口を書いた木札を立てるのか聞いた。老いを感じさせないハキハキした声で持論を展開する。

「オレは悔しいと思ったら黙っていないの。言わないと、相手の言い分を認めたことになっちゃうから。世間は立て札を“誹謗中傷”と言うが、そんなことじゃねえんだよ。悔しい気持ちを書いているだけ。文句があるなら来りゃいいんだよ」

 実際、立て札のなかには、

《どこからでも係って来い。受けて立つ》

 と書かれたものがあった。

 男性なりに不満があるのかもしれないが、通行人が目にする場所に掲げて個人攻撃し、さすがに「死ね」は言いすぎではないか。

「言いすぎじゃないよ。向こうがやりすぎなの。オレがどんなに悔しかったか」

 悔しがる要因は、前出の地元住民が説明したとおり、敗訴や水路のフタ、告げ口などで、立て札は「対抗策だ」と話す。

 勘違いもあるのではないか、と質問してもそれを遮って取り付くしまもなかった。

 はがきを出していることも認め、「嫌がらせじゃなく抗議」と主張する。

 境界線に置いた石については、自宅の庭からひとりで運ぶため手間も時間もかかっているという。

「昼間に1個ずつソリに乗せて運んでいるんだよ。市役所に片付けられたら、また置くだけ。特に体力づくりはしていないけれども時間をかければひとりで運べますよ」

 そこまでして置き石するのは立て札と同じ理屈だった。石を置いている場所は本来、自分の土地なので、そう主張するために置いているという。

家主の男性が「自分の土地」とする場所には大きな石が置かれていて
家主の男性が「自分の土地」とする場所には大きな石が置かれていて

「測量図や登記簿などの公文書では間違った境界線が認められている。だから市は“物を置いちゃだめだ”と言ってくる。でも素直に言うことを聞いていたら土地を取られちゃうので実力行使しているだけ。間違いを正したいだけなのに市は話し合いに応じようとしないんだよ」

 仮にそうだとしてもやり方は荒っぽい。短気な性格なのか、あるいはひとり暮らしからくる寂しさの裏返しなのではないか。

「いや、怒りっぽくはない(笑い)。寂しくもない。これは親の代から60〜70年続いている未解決の課題なんだよ。今は市とチャンバラの最中だからオレが生きているうちはやり合うしかない。やめたら斬られちゃうから。永遠の課題というか、とこしえの課題ってやつ。うん、いい歌ができそうだ(笑い)」

 と、ちゃかす余裕も。