借金10億円を抱えたどん底で起死回生の一手になったラジオの仕事。東日本大震災で最愛の妹を亡くし、生家を津波に奪われた日も、淡々とマイクの向こう側にいるリスナーに必要な情報を届け続けた。その不屈の精神を支えた「大丈夫、大丈夫」という母親の口癖は今、生島ヒロシなりの言葉に昇華され、息子たちへと受け継がれていた。

 

やじ馬根性と好奇心、それがエネルギー源

 平日の朝5時。

 晴れやかなタイトルコール『TBSラジオ生島ヒロシのおはよう定食』がラジオから響きわたり、リスナーの1日を目覚めへと導く。6時半まで続く90分間の、日本の朝を元気にする生島ヒロシ(70)によるエンターテイメント・ラジオ・ショーの始まりだ。

「5時になりました、お目覚めいかがでしょうか」

 そう口火を切った後の生島は、予定調和な展開を一切目指さない。天気の話から大抵番組は滑り出すが、あっという間に話題は政治・経済・スポーツ・芸能・健康などへとワイド化する。

「昨夜は猫が鳴いて、夜中に起こされて大変でした」('20年9月14日)と日常を伝えたり、「新たなスタートでございます。どこも出かけることもなく、何をしていたか、よく寝ましたね、よく食べましたね、一段とコロナ太り加速という感じです」('21年1月4日)と年末年始の過ごし方を報告したりする。固定化しない臨場感がリスナーとの距離を縮めている。

 1998年4月6日に産声を上げたTBSラジオ生島ヒロシのおはよう定食・一直線』(月~金、朝5時~6時半)は、今月5日の放送で、通算6000回の金字塔を打ち立てた。

 朝4時、自宅前で待つハイヤーに乗り込むと同時に、生島の1日は始まる。

目覚めに白湯か生姜茶を飲み、スクワットやストレッチポールで身体をほぐしたりしますが、70歳ですから、毎日ベストコンディションは難しい

 体調を過信することはないが、23年間、皆勤賞。

「(渋滞で)遅刻は2回、ありましたけどね」と笑う。

 局まで約20分。ハイヤーの中で新聞に目を通し、アメリカの友人から毎朝届くメールをチェックし、必要とあればすぐさま国際電話をかける。

この年でも何でも面白がる。やじ馬根性と好奇心。それがエネルギー源ですね