生島の魅力は人を元気にする「声」
今から50年前、1971年に法政大学を休学し単身渡米した生島は、現地で空手ショーのアルバイトなどをしながらカリフォルニア大学ロングビーチ校でジャーナリズムを専攻した。以来、体内には「知りたい! 」という取材者のあくなき欲求が堆積している。
4時半前後にスタジオ入り。第1回放送以降、第8スタジオが生島の発信基地だ。打ち合わせが必要ないほど、番組スタッフとは気脈が通じている。
あらかじめチョイスされた記事に、自分が興味を持った記事。それらをどんな順番でしゃべるかは、生島がオンエア中に自由に選び取る。番組のコンセプトは『聴くスポーツ新聞』。
「スマホで読むのがどうしてもダメで、紙で読みますね」という生島は、スポーツ紙、一般紙、夕刊紙、女性週刊誌、男性週刊誌、経済誌など多くの媒体から日々情報を摂取。それを噛み砕き、リスナーに届ける。わかりやすさ、伝える力は話芸の領域だ。
しゃべり始める前、生島は首にレンジで温めたネックウォーマーを巻く。おでこには冷えピタ、足元は床暖。頭寒足熱で挑む。
「首と足裏を温めると、調子がよくなります。60兆個の細胞がどんどん活性化して目覚めて、ノッていくという感じ。首、のどは1年中、ちゃんと守っています」
番組スタッフは少数精鋭、4人の小所帯。構成作家もいない。台本もない。アクリル板で仕切られたマイクの前、スタジオに入るのは生島だけ。コロナ禍でスタジオのドアは開けたまま、時折、スタッフがニュース原稿を届ける。
「これは賛成ですね」と私見を加え、ニュースを読んだり、リクエスト曲のイントロに「国のリーダーは防災のことを忘れてはいけない」と自在に潜り込ませたりする。
番組開始当時、新入社員として同番組のADを務め「ヒロシさんに育ててもらった」という植木和代さん(46)は今、プロデューサーとして番組を支える。
植木さんは、生島の魅力を「声」だと断言する。
「人を元気にする力がある。飾らない、おっちょこちょいなところも魅力で、聞いてる人が身近に感じられる人柄が人気の秘密だと思う。ヒロシさんがスタジオ内を自由に動けるようにスタンドマイクも用意しています。これは“生島ワイド”だけです」
スタッフへの朝食の差し入れ、ゲストにはおすすめの健康管理グッズを手渡すなど気遣いも抜かりない。
昨春から世界が陥ったコロナ禍で、生島は改めてホットメディアとしてのラジオの存在感、魅力を噛みしめている。
「顔の見えない分、しゃべりに集中する。常にマイクの向こう側の人を思い浮かべながらしゃべる。人間が出る。自分を出せる時間です。カッコつけなくてすむし、肩ひじ張らない。間違っちゃったらごめん、という雰囲気でやれる。リスナーのみなさんには本当に助けられています。リビングルームというより、台所のちゃぶ台でしゃべっている感じです」
生島はラジオの身の丈感を大切にしている。