「加害者の夫は近くの寺の副住職だったんですが、ここの住職に美恵子の夫がいじめられていたと証言する近隣住民が結構な数いました。そのいじめが、なぜか被害者から加害者へのものだと間違って伝わってしまった」
別の週刊誌記者も語る。
「幼稚園のママ友の間で犯人が浮いていたなどと積極的に語っていた自称保護者がいたのですが、その人は裁判にも出てこなかったし、今となっては本当に関係者なのか怪しいですね」
一方で、裁判で明らかになったのは、被害者の母親、秋本さんに対して一方的に被害妄想と憎悪を募らせている美恵子の姿だった。
《(息子が)年中組の三学期になると、秋本さんに対して憎しみのような気持ちが湧いた。いつも特定の人が彼女の近くにいて、2人はべったりしていたから、私だけ差別・疎外されていると思った》
これは秋本さんともう1人の母親との関係についての美恵子の供述だが、自分以外の人間の言動に対する曲解だ。そうして秋本さんへのネガティブな感情が募り、ついにはストーカー的行為に走る。
《秋本さんのマンションへ行き、1階の自転車置き場を確認するようになった。そこに自転車があれば安心し、なければ心配になり、あちこち探し回った》
秋本さんを過度に意識しすぎたゆえの異常ともいえる行動である。これに対し、秋本さんは「私は彼女と特に親しくはありません」と証言している。
摂食障害に自殺未遂
そんな美恵子とは一体、どんな人物なのか。
美恵子は静岡県に生まれ、地元の高校を卒業した後、看護師を志して埼玉県の短期大学に進学。卒業後は静岡県内の病院で働いたが、1か月で退職し、2年後に別の病院へ転職する。
《(最初の病院を)退職したのは、過食症が続いて、精神的に不安定だったからである。その頃、風邪薬を大量に飲み、自殺を図り、失敗に終わっている》(供述書より)
これ以外にも自殺未遂を2回ほどしている。
転職先の病院で働いていたときに、長野県の寺院で開かれた講習会に参加し、文京区の寺院で副住職をしていた夫と出会う。交際を続け、7年勤めた病院を退職して1993年春に結婚。文京区のマンションへ移り住んだ。ここでも美恵子は人間関係に悩む。