「息子のために捕まるわけにはいかない」
筆者は公判を被告の家族と共に傍聴していたが、次々と明らかになる事実に家族は打ちのめされていた。
被告は妻殺害後、遺体を自宅のクローゼットに1か月にわたって隠し続けていた。周囲の人々は、まさか、被害者が被告に殺害されているなどとは思わず、妻が喧嘩をして出て行ってしまったという被告の言葉を信じて必死に被害者を探し回っていたのである。
なぜ、そのような冷酷なことができたのか。
「息子のために捕まるわけにはいかない。母親を奪ってしまった分、幸せにしなければ」
被告はそう思い、心を鬼にしたという。
被告が逮捕される前日、被告の誕生日を祝うために家族が集まっていた。被告の言動を信じて疑わない家族の姿を見て、これ以上、罪から背を向けてはいけないと犯行のすべてを自白する覚悟を決めた。
「なんて馬鹿なことをしたのか」
情状証人として出廷した被告の兄は、怒りを込める場面もあったが、最後に
「どんなことがあってもお前の兄」
と力強い言葉で語った。
殺人事件の半数は家族間で起きている
不特定多数の人々が犠牲になる通り魔事件や無差別殺傷事件に比べ、本件のような家族間殺人は社会的関心が低く、事件の背景が丁寧に掘り下げられることは少ない。
しかし、日本の殺人事件の半数は家族間で起きており、すべての犯人が異常者というわけではないのだ。なぜ被告が妻を殺めるに至ったのか、その背景を分析するうえで被告がどのような問題を抱えていたのかは明らかにしなければならない。
被告は妻から「あんたの給料が安いせいで、私が働かなくちゃならない」と甲斐性のなさを指摘され、期待に応えられない自分に後ろめたさを感じていた。さらに、病気で運転もできなくなったことで、「男が稼いで運転する」という、地方でまだ根強いステレオタイプの男性像から離れていく自分に、劣等感を抱くようになっていた。
彼の性格について、周囲の人々は口をそろえて、怒った姿は見たことがなく、穏やかだと話す。被告に自分ではどう思うか尋ねたところ、決して怒りを感じないわけではないが、感情を表出することが苦手だという。
被告は吃音があり、緊張が高まるとどもってしまう。昔は今より酷かったことから、人知れず劣等感を抱えていたかもしれない。自己肯定感の低い人にとっては、他人が受け流すような言葉さえも人格否定と捉え、傷を深めてしまう傾向がある。傷を放置し続けると自傷では済まなくなり、重大な加害行為に発展するケースは少なくないのである。
パートナーからの言動に傷ついて苦しいという場合、DVの相談窓口が存在している。こうした相談窓口では、DVか否かを判定するのではなく、相談者が苦しいと感じたことを聞いてもらえる。
しかし、相談者の多くは女性を想定しており、男性が相談しやすい環境にはないのが現状ではないだろうか。被告の周りに同じような悩みを持つ人がいたならば、事件にまで発展しなかったかもしれない。問題のない家庭で育ったからこそ、対処能力も育たなかった。
たとえ、妻の言動に問題があったとしても、人を殺めていい理由には到底なり得ない。罪に手を染める前に、被告には弱さを見せる勇気を、社会にはその受け皿が必要だった。
検察側は、被告の犯行態様は悪質であり、身勝手で短絡的、強い非難に値する行為として懲役18年を求刑。弁護側は、被告は妻から病気のことなど自分ではどうしようもないことを非難され、精神的に追い込まれており、懲役5年から7年が相当であると主張。判決は6月1日に言い渡される。
被告は最後に「私はとても大きな罪を犯してしまいました。刑務所に入ることになりますが、それで終わりだとは思っていません。その先が、償いの始まりだと思っています」と述べた。家族のためにも、この先の彼の償いの人生を見届けたいと思う。
阿部恭子(あべ・きょうこ)
NPO法人World Open Heart理事長。日本で初めて犯罪加害者家族を対象とした支援組織を設立。全国の加害者家族からの相談に対応しながら講演や執筆活動を展開。著書『家族という呪い―加害者と暮らし続けるということ』(幻冬舎新書、2019)、『息子が人を殺しました―加害者家族の真実』(幻冬舎新書、2017)など。