1993年の映画『月はどっちに出ている』で数々の映画賞を総なめにしたルビー・モレノさんが来日したのは、18歳のころ。当時の職業はダンサーで、半年したら帰国するつもりだった。
しかし、当時寝泊まりしていたフィリピン人たちが集まって生活する家に、今も所属する「稲川素子事務所」の稲川素子社長がたまたま訪れ、それが運命の出会いとなる。社長が感じとったとおり、あれよあれよという間に、人気女優のひとりとなった。
だが、慣れない世界で人生のハンドルはきかなくなっていく。東京・麻布の家賃25万円のマンションに住むわ、ワガママは言うわ、仕事のドタキャンはするわ……。ルビーさんは「あのころはテングになってました」と、ひたすら反省する。
事務所社長を提訴したが
1995年に行われた『月はどっちに出ている』の、トークイベント当日にフィリピンへ帰国してしまったことも。
実は、祖国には生まれつき重度の障がい(脳性まひ)を持つ娘を残してきており、彼女に会いたいという一心からでもあった。しかし、娘は1998年に他界。同年、ルビーさんは再来日する。
その後、なんと稲川社長を提訴。「そうでもしないと素子さんは会ってくれないと思ったから」だったが、裁判所で会った途端に懐かしさが込み上げて、その場で取り下げ、元の事務所でやり直すことを決めた。
「でも、ブランクと、自分がやってしまったことの影響って大きい。やっと気づきました」
日本に戻ってからは食品加工の工場勤務や、おしぼりのパッキングなど、さまざまな仕事をした。現在もスーパーのバックヤードで働いているという。
「芸能界の仕事は入ったときにやっている状態ね(苦笑)。ないときは、スーパーにいます。今の目標は、また連続ドラマに出られるようになりたいなあ。あと、また『月は~』みたいな、いい映画に呼んでもらえるといいなあ。それが、今の夢ですね」
イベントを無断欠席した『月は~』の崔洋一監督には、まだ謝罪ができていないそうだ。
「あれから、崔監督には会ってない……怖いな(苦笑)。でも、お詫びしたい、したい、したい! そしてまた、作品に出してもらえるとうれしいな。素子さんも願っているので」
ルビー・モレノ ◎1965年、フィリピン生まれ。1992年のドラマ『愛という名のもとに』(フジテレビ系)で話題となり、翌年には映画『月はどっちに出ている』でブルーリボン賞をはじめとする国内の主演女優賞を総なめにした。
取材・文/寺西ジャジューカ