出産を控えた女性たちの死
お産は「おめでたい」ことだとふんわり思いがちだが、現場を知る八田先生は、「命がけ」だときっぱり言う。
「妊娠中期に血小板が低くなった妊婦さんが転院してきました。内科医も一緒に複数の医師と、処置室で原因を調べている間にどんどん血圧が下がって。“私の赤ちゃん、大丈夫? 私、死にたくない……”と、ひと筋の涙を流しながら、すっと息を引き取ったときの衝撃はいまも忘れることができません。
はっきりした原因はわかりませんが、妊娠をきっかけに血液が固まらない病態になってしまったのです。もともと何らかの病気があったのかもしれません。しかし、女性にとって妊娠は、命さえも奪ってしまう事態も起こる、大事業なのだと痛感しました」
もう1人、忘れられない女性がいる。胎盤早期剥離による大量出血で緊急搬送された妊婦だ。
「到着したときはすでに冷たくなって息を引き取っていました。何の処置もできず、ただ死亡診断書を作成することになって……。もう少し早く治療できたら救えたかもしれないと、悔しさと悲しさで、涙が止まりませんでした」
突然、娘を失った母親は、「先生、あの子にいったい何が起きたんですか? あんなに元気で入院して、夕方には赤ちゃんが生まれるって言ってたじゃないですか!」と、産婦人科医に詰め寄り、娘の名を叫んで泣き崩れた。
「当然だと思います。朝、陣痛が始まって“行ってきます”と病院に出かけた妊婦さんが、まさか夕方に亡くなるとは微塵にも思わないですから。今では、日本は世界一安全なお産ができる国であることに間違いありませんが、私はこの2人の妊婦さんの事例を胸に刻み、日々妊婦さんの診察を行っています」
まだ母親に甘えたい年ごろの小さな男の子が「ママ、ママ」と泣きじゃくる中、子宮がんの患者を看取ったときは、胸がつぶれる思いだった。悲劇を繰り返したくない。そんな気持ちで、子宮頸がん検診の大切さと、若い世代にはワクチンの重要性も強調する。
不妊治療の末、超未熟児を出産し、障害が残るかもしれないとわかった女性に、「先生が注射をして、無理やり赤ちゃんをつくったせいよ!こんな結果になるなら産まなきゃよかった!」と暴言を吐かれたときは言葉を失った。
「産婦人科って、ゆりかごから墓場までっていうくらい、幅広く女性の一生に寄り添う診療をする科です。ある当直の日、卵巣がん末期の患者さんを看取った直後に、お産で呼ばれ、涙と汗でぐしょぐしょになった夜がありました。ドラマはいっぱいあります。
患者さんが亡くなったときは、医師として自分の無力さを感じるし、新しい命の誕生は本当にうれしくて、やりがいを感じました。そして感情的な言葉を浴びれば、やはり私も1人の人間なので深くショックを受けます」