「死にたい病」に対する正当行為
その言葉どおり、茂さんは身体を張っている。勤め先のパワハラに悩まされた男性を保護したときは、その会社に乗り込んで上司に掛け合った。妻との関係に疲れ果てた男性を保護したときは、その家まで電車で足を運び、家族と話し合いを持って離婚を成立させた。立会人は茂さんだ。
そうして年に数回、北は北海道から南は岡山まで、全国各地を自費で駆けめぐるという。
「自殺を決意する人たちは、自分のアパートや家を手放し、友人の関係も断って仕事もない。お金もない。ここへ来るのは片道切符。そんな人に“なんとかしてあげる”と大口を叩く以上、自腹を切るしかありません」
そこまで相手の事情に踏み込む理由について、茂さんはこう訴える。
「公務員には民事不介入の原則があります。だから家庭内の問題に立ち入ったらあかん。でも本当に自殺から保護するには、相手の悩みごとを取り除いてあげないといけないんですよ」
もっとも、助けを求められたからといって、闇雲にトラブルの現場へ足を運ぶわけではない。当人の言い分だけに頼るのではなく、関係者の話も参考に、被害の確証が得られた段階で動き出すのだ。
だが、ここまでやる支援の在り方については、
「生かすことが正義?」
「死にたい人は静かに死なせてあげれば?」
といった声もSNSなどで寄せられる。これに対して茂さんはこう言い切る。
「そうした批判は、現場を知らない人が同情で言っているだけです。自殺を考えている人の心理状態は、精神を病んでいる人ばかり。一時的な感情で自殺に追い込んでいる、一種の“死にたい病”なんです。それを放置したらいつか飛び込む。医者が病人の身体を手術するとき、傷つけても傷害罪に問われないのと同様に、わしが介入するのも正当な行為なんです」
そんな茂さんの熱い思いに同調し、開設当初から一緒に活動しているのが事務局長の川越みさ子さん(68)だ。県警本部の喫茶店で店長をしていた縁で、茂さんに誘われた。
「茂さんはぶれない人です。何事に対しても物怖じしない。どんな逆境が来ても“いい機会だ”と前向きにとらえるんです。相談相手からは確かに重たい話を聞くのですが、それで茂さんがまいっているのを見たことはありません。会社に乗り込んでいくときは、分厚い六法全書を持っていきますからね」
現在までに救出した720人の中には、その後に命を断った人が数人いる。とりわけ「あれは可哀想やったなぁ」と振り返る母子3人の姿が、茂さんの脳裏に今も焼きついている。
それはある夏の日の昼下がりのことだった。
商店街の人から「ちょっと来てくれないか」と言われ、見に行くと、母親とおぼしき女性がビールを飲んでいた。隣には幼女と、生後間もない男児の姿。幼女は「かあかあ、お家に帰ろう」と泣いているので、茂さんが声をかけた。
「これから岩場に行くんです。旅行に来ただけ」
そう言い張る女性は男児を抱き、幼女を連れて岩場へと歩き始めた。茂さんが引き留めると、
「なんで引き留めるんだ!」
と引っ張り合いになったが、何とか茶屋に連れてきた。話をじっくり聞いてみると、女性は関西出身で、夫婦仲と産後うつに悩んでいるのがわかった。そこで女性の親に電話をかけ、警察に引き渡した。約束どおり迎えの親が到着し、帰宅の途に就いた。
ところが後日、親から電話がかかってきた。
「せっかく東尋坊で自殺を止めていただいたのに、助けることができませんでした。疲れて別々の部屋で寝ている間に……」
女性はビルの10階から子ども2人を投げ、自分も後を追ったという。
茂さんが回想する。
「女の子が“おじちゃんありがとう! サンダーバード(特急)で帰るね”と手を振ってくれたんです。ものすごい可愛い子やったのに」