宅配ピザに込められた、“妻としての意地”

「ドキドキしながら、彼のマンションを出ました。このことがきっかけで、彼の家族のことをもっと知りたいという思いが強くなりました」

 それから数日後の夕方、美帆さんは彼のマンションのインターホンを押した。すると「はい」という女性の声。美帆さんは自分の名前を告げ、「婚約者です」と挨拶をした。ドアを開けたのは同年代ぐらいの小柄な女性だった。

 その女性の口からは「私は妻です」との言葉。頭に血が上った美帆さんが「彼を待ちたい」と申し出ると、妻と名乗る女性はスリッパを置いて、美帆さんをリビングに通した。そしてソファに腰かけることをすすめると、宅配ピザを注文した。

 無言が続く。リビングのつけっぱなしのテレビでは、中年のお笑い芸人がネタを連発していたが、2人ともテレビの画面を無視し続けた。ピザが到着し、彼の妻を名乗る女性がテーブルにピザを置く。再び美帆さんと女性は無言で彼の帰りを待っていた。

「午後10時近くに、やっと彼が帰宅しました。冷めたピザを挟んで座っている私たちを見て、あ然としていました。私は“どういうこと? この女性は妻だと言っているけど、私と結婚するつもりで付き合っているんじゃなかったの?”と詰め寄ると、彼は私を連れ出してエレベーターで1階へ。マンションの外でひたすら謝罪するんです」

 女性が彼の妻だと説明され、自分が単なる遊び相手だったことがわかると、美帆さんは彼を思い切りビンタした。

騙したのね!

 こう訴えると、彼は「明日の朝、電話する」と、マンション前の道路でタクシーを拾い、美帆さんを帰した。

帰宅したら、彼からLINEをブロックされていました。翌日、名刺にある会社に電話をしたら、休暇中と言われたんです。そこで半休を取って、午後に彼のマンションを訪ねたんですが、応答なし。管理人に問い合わせると急に引っ越しをしたとか。逃げ足が早かった

 騙されていたとわかった美帆さんは、女友達に相談。弁護士に依頼して慰謝料をもらおうとも考えたが、彼の妻がなぜピザを頼んだのか、引っかかっていた。

女友達は、彼の妻が私という存在を認めたくなかったのだろうと。単なる夫の“お客様”として扱おうと、もてなしのつもりでピザを頼んだのではないかって

 そのとおりなら、あのピザには妻としての意地が込められていたのだろう。悔しさはますます募ったが、

「あんな男の妻よりも、絶対に幸せになってやるって。あまりにも悔しかったから」

 自分の幸せを優先すべきだと考えを変えたという。

 それから美帆さんはファッションもメイクも一新。再び婚活に臨むと、2年後、33歳で2歳年上の男性と結婚。現在妊娠中だ。

 気持ちを弄ばれ、時間を無駄にしたように見える美帆さん。しかし皮肉にも、自分を騙した男から購入したマンションは賃貸として、それなりに財産になっているという。お金こそ失わなかったが、美帆さんの心の傷はほかの女性と同様に深い。負けず嫌いな女性だからこそ、決して口にしないのだが。

寄稿/夏目かをる:コラムニスト、作家。2万人のワーキングウーマンの取材をもとに恋愛や婚活、結婚をテーマに執筆活動を。自身の難病克服後に医療ライターとしても活躍。