ふとしたことからテレビへ
「編集部の人から提案されて、顔出しでお悩み相談のコーナーをすることになったんです。どこかで“漫画家で有名になれば、楳図かずお先生のようにテレビに出られるかもしれない”という気持ちも芽生えていきましたね」
漫画家としてラジオ番組に出演したところ、現在の所属事務所からスカウト。
「そのときに“元アイドル歌手を目指していた、オネエ言葉を話すホラー漫画家だからいい”とはっきり言われました(笑)。オネエとしても、兼業タレントとしても先駆けのような感じでしたね」
所属事務所が正式に決まった日から、一気にスターダムへと駆け上がっていく。
「すぐに“『さんま御殿』の出演が決まった”と連絡があって。そして、さんまさんに面白がってもらえたこともあり、事務所に所属してから3か月後にはスケジュール帳が真っ黒になっていました」
売れっ子タレントになったものの、次第に複雑な思いを抱えるように。
「当時のオネエはキワモノ・ゲテモノ枠。笑ってもらえてナンボみたいな世界だったので、小中学生時代の“オカマ”と呼ばれていたころに戻った感じでしたね。私自身はそう言われることに対して耐性があったので、特に傷つくことはなかったです。でも、同性が好きというのはテレビにおいて倫理的に問題があると。番組によっては“女性が好きと言ってくれませんか”と頼まれることもあって……。仕方なくそう発言したこともありましたが、罪悪感が拭えませんでした」
テレビで涙を見せなかったのは、明石家さんまのアドバイスが関係していた。
「さんまさんが“つらいとか泣いたら、視聴者は引くで。夢を与えるのがトオルちゃんの役目だよ! ”と指南してくれたんです。その言葉があったから、つらいときでも頑張ることができました」
その後、オネエタレントが続々とデビューしたことで、さらに居心地の悪さを感じるようになる。
「オネエ=毒舌というイメージに変換されていきましたが、私はそういう性格ではないんです。派手に罵り合って番組を盛り上げるオネエたちの中で、ただ座ってニコニコするだけの日が続いて……。こういう状態でテレビに出るのは申し訳ないなと思い、休業することを決めました」