人間の身体はよくできています
昼過ぎには兵隊が救援に駆けつけた。「おまえ、中学生なら手伝え」と言われ、2人1組で道路をふさいでいる遺体を片づけ始めた。
「兵隊さんが遺体の頭のほうを持ち、僕が足を持って道の端に運びました。足を持つとズルッと皮膚がめくれ、気づくと骨をつかんでいた。2~3時間かけて100体ぐらい運びました。怖い気持ちも気持ち悪い感じもしなかった。正気を失わないように防衛本能が働くんでしょうか、人間の身体はよくできています」
中学の同級生約300人が犠牲になった。自宅近くに住む幼なじみで別の中学に通う同級生2人も、学校に行ったまま帰ってこなかった。
しげちゃん──。お互い気が強く、好き勝手言い合ってしょっちゅうケンカして、でも次の日にはケロッとしてまた遊ぶ友人だった。
「原爆投下の前日にケンカしたまま。原因が何かも覚えていません。彼とはまだ仲直りができていないんです」
村田くん──。小柄でやせていて、同級生なのにアニキ肌の大岩さんを慕っていた。
「母親から“自宅にお悔やみに行ってらっしゃい”と言われ、きっと村田君の家族に泣かれるから嫌だと思って“じゃあ一緒に行ってくれ”と頼んだら、“あんなに仲がよかったんだからひとりで行ってらっしゃい”と言う。
村田君宅の玄関をガラガラと開けると、おばさんが飛んできて、僕の足にワーッとしがみついて泣くんです。僕も泣けてきて、おばさんと2人でずーっと泣いていました。何の会話もなかったと思います」
大岩さんは2019年6月まで東京都原爆被害者協議会の会長職を約6年務め、講話活動も積極的に行ってきた。もし、原爆を落とされていなかったら、戦争がなかったら、いま村田君やしげちゃんとどのような関係を築いていただろう。
「わかりません。想像できない。僕は87歳になったけれど、僕の中の彼らはずっと13歳のままなんです」
バラ色の青春という言葉がある。大岩さんにとって青春は何色だったのか。そう尋ねると、迷うことなく「黒っぽい灰色」と答えた。
※2019年取材(初出:週刊女性2019年9月3日号)
◎取材・文/渡辺高嗣(フリージャーナリスト)
〈PROFILE〉法曹界の専門紙『法律新聞』記者を経て、夕刊紙『内外タイムス』報道部で事件、政治、行政、流行などを取材。2010年2月より『週刊女性』で社会分野担当記者として取材・執筆する