女の人生は50歳を過ぎてからが本番
夫の経済力により何不自由なく生活できたという戸村さん。そのお小遣いでヨガの勉強を始めたのが40歳になったとき。
「ヨガが流行り始めてスポーツクラブで何げなく受けたスタジオレッスンでチャクラが開きました(笑)。離婚は決めていてもどうやって食べていくのかがわからず、結局夫に寄生するしかないのかなと諦めかけていたころにヨガに出会えたんです。
まずインストラクターの資格をとりました。マンションの集会所でママ友から数百円とるヨガ教室から始めて、50歳になったとき大手ヨガスタジオで自分のクラスを持つことができました。50歳から新しいことができたんです」
と、目を輝かせる。
「収入が手取りで30万円を超えたときに少し苦しいけど十分自活できるなと。55歳のときに離婚を切り出しました。押印した離婚届を押しつけただけですが(笑)。もう人の世話をするのが嫌だったんです。
夫は最初、環境の変化を受け入れられない様子でしたが、彼女もいたようで、すんなり別れてくれました。慰謝料もなし! 娘たちには成人した段階で私の気持ちを伝えていたので何も言われませんでした。ただ“結婚式には両親そろってほしいからケンカはしないで”とだけ言われました。大嫌いになることなく別れたので幸せなケースだなとつくづく思います。
当初は恋することにこだわっていましたが、今は毎日が楽しくて恋人も別にいらないかもとか思っています」
●キラ還ケース(2)「止まっていた生理が再開した!」
佐藤のぞみさん(57歳・仮名)webデザイナー
東京都のタワーマンションに住む佐藤さんは「女の人生は50歳を過ぎてからが本番」と言う。なんともたくましい言葉だがそこに行き着くまでには大変な道のりがあった。
「26歳で6歳年上の会社社長だった夫と結婚。3人の子どもに恵まれて勝ち組生活もつかの間、バブルがはじけて夫の会社は倒産、私も働きに出ることになったんです」
それまで住んでいた高級マンションは売り払い、郊外の公営住宅に住むことに。夫は資金繰りで朝から晩まで家におらず、佐藤さんは育児をしながらパート。持ち前の愛嬌から人気販売員となった。それでも「暗黒の30代を送った」と語る佐藤さん。
「借金返済のため自分にかけるお金なんてゼロで、子どもに贅沢もさせてあげられない。でも、私は絶対にこんなことで人生終わらせない。もう一度勝ち組生活に返り咲くと決意していました」
そんな佐藤さんが目をつけたビジネスがwebデザイン。
「パートをしていたビルにパソコン教室が入っていて、気のいいお姉さん講師が空いた時間に無料で教えてくれたんです。そこでwebデザインを学んで、借金をしてパソコンを買い、その後は独学で学びました」