コンプレックス少年からホテルマンへ

 岸本さんは1975年、神奈川県に生まれた。

 現在の姿からは想像もつかないが、小学生の彼は引っ込み思案でコンプレックスの塊だったという。

 というのも1歳のころに交通事故に遭い、言語障害になってしまったからだ。周囲から「どもりん」と呼ばれたり、からかわれたりすることも多かったが、リハビリに通ったおかげで中2から症状は改善された。

 もうひとつ、拓也少年のコンプレックスを解消してくれたのが父親の存在だった。

 父親は消防局に勤める公務員。夏休みになると、姉と拓也少年をいろいろなところへ連れていってくれた。それも、行き先は日本全国。熊本、高知、長崎、大阪など、東京近郊からは、なかなか行けない場所ばかりだった。

「あのときの経験が今の自分に影響していますね。僕は常々、発想の源は“音・旅・服・食”。だからもっと遊ばないとダメだ、と社員に言ってます。“自分が楽しまないとお客さんを楽しませられない”とね」

 中学からは私立の中高一貫校、桐光学園に進学。そのころ、たまたま姉の家庭教師だった大学生の影響で音楽の楽しさを知る。高校生になると、音楽にのめり込み、バンドを結成して片瀬江ノ島にあるライブハウスでライブをするようになっていた。

「スポーツは苦手だったけど、ギターが弾けるとモテることに気づいた(笑)。いつしか目立つことが好きになっていましたね」

 生徒会長に立候補して就任するほどに活発だった。将来は航空会社の男性キャビンアテンダントになろう、と関西外国語大学に進学する。

 大阪に行った岸本さんは、関西のファッションに出会い、そのおもしろさに夢中になった。大学にはほとんど行かず、パブやレコード店でのアルバイトに明け暮れて、バイト代が入ったら服と彼女につぎ込む日々。このときのファッションが、今のスタイルの原点となっている。

 卒業後は、航空会社へと思っていたが就職活動は全滅。客商売が好きだったのと、海外にも行けるだろうと考え、外資系ホテルに就職した。

 ホテルマンになったものの、杓子定規のルールにはなじめない。それでも親しくなったお客さんからの誘いでニューヨークに行ったり、ボーナスをつぎ込んで、フランスを旅したりしていた。

外資系ホテルマン時代(右から2人目)。パン屋さんの持つおもしろさに目覚めた
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【写真】今とは真逆! マジメなスーツ姿で仕事をする岸本拓也さん

 あるとき、岸本さんの企画力に目を留めた料理長の推薦で企画部門に配属された。そこでレストランやベーカリーなどの飲食部門のマーケティングを任されるようになると、徐々に独立の意志を固めていった。

 その後、29歳で退職。高級ホテルにある店でも数百円で買えて、老若男女に愛されるというおもしろさに惹かれ、「パン屋さんをやろう」と心に決めていた。それからスーパーで派遣社員をしながら資金を貯め、横浜・大倉山にパン屋さんを開店させた。その名も『TOTSZEN BAKERS KITCHEN』(トツゼンベーカーズキッチン)。30歳のときだった。

トツゼンベーカーズキッチン立ち上げ当時。評判の店になったが経営は悪化していく
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