「岸本さんの店はお客を選んでいる」
岸本さんが開店させた店舗は、自身がホテルに勤めていたときに受けた感動を届けようと、思いっきりスタイリッシュな店にした。
「主力商品はフランスパンなど、噛むとあごが疲れるようなかたい食感をしたハード系のパン。そこへホテルマンのようなスーツを着た店員が“今日の夕食のメニューはお決まりですか?”と聞く。お客様が“シチュー”と答えたら、“それならフランスの粉を使ったバゲットもいいけど、国産のほうがいいかもしれませんね”などと、シチューに合うパンをおすすめするような店でした」
「水にこだわったパン屋さん」として、世界じゅうの水の中から小麦粉ごとに相性のいい水を選んで仕込みに使い、雑誌で紹介されたりもした。
「当初は非常にマニアックなベーカリーをやっていたんです。パン好きの方が遠方から来てくださり、いろんなマスコミにも取り上げられていました。でも、その一方で『木を見て森を見ない』状態に陥っていました。一部のお客さんとの絆は深まっているけれど、ふと全体の売り上げを見ると、下がっていたのです」
当時は高級ベーカリー・ブーム。東京に新しいパン屋さんが次々とオープンし、マニアックなお客はそちらへと流れ始めた。
売り上げは右肩下がりに落ちていった。社員にボーナスも出せない。それどころか、毎月の給料も苦しい。
新しいレストランに営業をかけるのだが、営業先として選ぶのはミシュランの星がついているような有名店ばかり。
「やっぱり、プライドだけは変に高くなってしまっていたんですね。そんなどん詰まりのときに、ふとしたきっかけがあったんです」
大倉山にある保育園の園長は岸本さんの店の常連客だった。ある日、園長から「うちの保育園にパンを届けてくれない?」と声をかけられた。
「こういうパン、作れない?」
そう言って園長が取り出したのは、メロンパンやロールパンだった。
「実はうちの店でも少しはやっていたんだけど、それほど力を入れる商品でもなかったし、これを大量に作るとなると、こだわりのパンがなかなか作れなくなる。それで1回考えさせてもらいました」
葛藤はあったのだが結局、岸本さんはリクエストにこたえてメロンパンやバターロールを作って届けた。
「できあがったパンを僕が自分で配達したんです。すると保育園児たちがむちゃくちゃ喜んでくれた。経営がなかなかうまくいかない大変さと、子どもたちが心(しん)から喜ぶ姿に感極まってしまって……、自然に涙があふれてきましたね」
保育園での体験を経て、岸本さんは素直にいろいろな人に相談してみることにした。以前から親しくしていた、パン屋さんに原材料を仕入れる問屋の営業マン・石崎亮さん(42)を居酒屋に誘って、こう聞いてみた。
「うちの店のよくないところを、何でも遠慮せずに言ってくれ」
すると石崎さんは、ためらわずに告げた。
「岸本さんの店は、お客さんを選んでます」
「選んでる?」
「そうです。実際、売り上げが下がっているじゃないですか。だから、僕は幅を広げたパン屋さんをやったほうがいいと思います」
初めて人にそう言われた。それをきっかけに、「本当に自分のしたいことは何なのか」という思いが込み上げてきたと岸本さんは言う。
「それまで僕は、一部のパン好きにウケる店作りをしていました。でもやっとそこで、地域の中で必要とされるパン屋を作るべきだ、という発想が生まれたんです。音楽でいうとaikoさんの歌みたいな、誰もが気負わずに行けて親しみやすいパン屋さん。みんなに楽しんでもらえたほうが、僕の喜びも大きいことに気づきました。また同時に、パンを通じて街を元気にするという目標もできたんです」
経営不振から資金もない中で、知人から借りた50万円で店をリニューアル。劇的に変えたのは、スーツと対面販売をやめたことだ。さらに、お客さんが自分で好きなパンをトングで取って選ぶスタイルに変えた。
「店には常時焼きたて、揚げたて、作りたてのパンが並ぶようにして、外にオープンデッキをこしらえ、そこでお客様がパンとコーヒーを楽しめるスペースも作りました」
さらに、邪道だと思っていた「明太フランス」や惣菜パン、菓子パンも扱うようになった。
変革は自分の店だけにとどまらない。何かもうひとつ、違うビジネスができないだろうかと考えて作ったのが、パン屋を開きたい人の開業支援をする「ベーカリープロデュース」だ。その試みとして始めたのが、パン屋さんを始めたい人に腕試しの場を提供する「レンタルパン屋さん」だった。追い詰められ、どん底を味わって始めたチャレンジが、のちに岩手県大槌町との縁をつなぐことになっていく。