DVDやYouTubeがない時代に、テレビを通じてリアルタイムでライブ映像を届けていた希少性は、改めて考えるとものすごいこと。
テレビの力はすごかった!
「僕らのようなニューミュージックの人間って、音楽番組に出ることがカッコ悪いことだと考えていた。当時の音楽番組は、演歌や歌謡曲ばかり。ですから、いつも居心地の悪さを感じていた(笑)。スタジオ収録の歌番組は、“お邪魔します”という感じだったけど、『ザ・ベストテン』は一緒に作っている感覚がありましたね。
マイナーな曲を演奏させてくれるという意味では、『MUSIC FAIR』も好きだった。アーティストに配慮してくれる音楽番組って、結果的によいものになりやすい。視聴者にも魅力が届きやすくなりますよね」(矢沢さん)
番組によっては、出演への二の足を踏んでいたアリスだったが、音楽番組の影響力については「すさまじかった」と素直に認める。
「僕らが初めて出演した音楽番組は、『夜のヒットスタジオ』だったのですが、放送翌日、女子高校生たちがぞろぞろと後をつけてくるし、行きつけの喫茶店のマスターやクリーニング店の人などからやたらと褒められた(笑)。その出演を機に、演奏した『冬の稲妻』もヒットした。当時のテレビの力は、すごかったですよね」(矢沢さん)
また、松下さん同様、“情報”をキーワードに挙げるのは、実際に現場を取材していた経験もある、芸能ジャーナリストの渡邉裕二さん。
「『夜のヒットスタジオ』は、新曲の初披露&フルコーラスの場として定着していた。『ザ・ベストテン』しかり、華やかなりし時代の音楽番組は、制作現場も情報番組として取り組んでいたように思う」
そのうえで、番組それぞれのストロングポイントが明確だった点も、この時代ならではとつけ加える。
「中でも『夜ヒット』は、カメラワークが斬新で、アーティスト同士による異色のコラボも珍しくなく、この番組でしか見ることができない空間をつくり上げていた。そうした独自の着想は、現在、FNS歌謡祭の豪華コラボなどに引き継がれていますが、かつては毎週見ることができたのだから贅沢でした」(渡邉さん)
例えば、『ザ・ベストテン』と同じく独自のランキング集計で人気を博した『ザ・トップテン』は、有観客の渋谷公会堂から公開生放送をすることで差別化を図った。同じく公開番組だった『レッツゴーヤング』は、出演者をアイドルに特化することで視聴者を虜にした。さらに、
「『ヤンヤン歌うスタジオ』は、まだメジャー番組に出演することができないアイドルが出演する登竜門的な要素が含まれていた。
後に、各音楽番組に引っ張りだこになる中森明菜は、“花の82年組アイドル”の中では、ほとんど注目されていなかったが、『ヤンヤン』だけは、デビュー前から彼女に出演の機会を与えた。
ただ、音楽番組といっても、事務所の大小、人気の高低、ジャンルの差異によって出演者の顔ぶれは変わる。その振れ幅に応じる形で、人気コンテンツだった音楽番組は枝分かれし、「見ない日はない」というくらい増えていった」(渡邉さん)