テレビでしか見られないものを、あの手この手で作り上げた時代──だからこそ、見ているわれわれもワクワクしていた。

 しかし、次第に音楽だけで番組を成立させることが難しくなる。前出の松下さんも、「視聴率も段々と下がり、ベストテンなのに5~6曲という回もあった」とうなずく。

 その間隙を突くように台頭したのが、音楽バラエティー番組だった。'90年代になると、『夜も一生けんめい。』、『HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP』『うたばん』など、トークに比重を置くような音楽番組が隆盛を極める。

音楽と芸人さんの融合

僕たちはトークのプロではないから、正直苦手なところはありました。ですが、『HEY!HEY!HEY!』では、ダウンタウンさんが巧みに話を聞き出してくれるので、身を委ねれば何とかなる(笑)。『HEY!HEY!HEY!』は、スタッフさんもとても気を遣ってくれた個人的にも大好きな番組でした

 そう語るのは、DA PUMPの元メンバー・YUKINARIさん。また、『COUNT DOWN TV』も思い入れの深い番組だといい、「沖縄にいるときから、『COUNT DOWN TVをご覧のみなさん、どうもDA PUMPです』って言うのに憧れていた」と笑う。

「デビュー当時は、自分が何の番組に出たのか覚えていないくらい目まぐるしかった。ほかのアーティストさんと仲よくなる暇なんてない。それに、ほとんどの音楽番組が収録でしたから、僕らがスタジオ入りすると、その前に出番を終えたアーティストさんたちは控室に戻っている。僕らが戻ってくると、すでに別の現場に行っていていない……みなさんが想像するような華やかな交流はなかった(笑)」(YUKINARIさん)

 また、“共演NG”に代表される事務所同士の対立についても、「あったとしても僕らが知るところではなかった」と明かす。

ジャニーズさんとの接触はNG─などと言われていましたが、僕らは気にしていなかったんですよ。店で食事をしていた際、たまたまTOKIOの松岡昌宏さんと遭遇し、そのまま合流したりしてましたから(笑)。紅白に出場した際も、舞台裏でSMAPさんと一緒にダンスを踊ったり、普通に接していただいた」(YUKINARIさん)

 当の本人たちは、どこ吹く風。仲が悪いと感じたことはなかったというから、邪推はほどほどにしなければいけない。

 前出の渡邉さんは、「情報からプロモーションのための音楽番組に変わっていったことが大きいのでは」と分析する。

「事務所やレコード会社のパワーバランスや宣伝をどうするか……番組スポンサーも含め、そういったことが重視され、'70~'80年代の音楽番組に存在していた視聴者に情報を届けるという視点が薄れていった。結局、プロモーション的な要素が大きくなったことから似たり寄ったりの構成になってしまう。特別感が薄くなれば、当然、視聴者離れも起きる」(渡邉さん)

 名司会者との掛け合いもなくなり、ネットの台頭で音楽の入手方法も増えた。音楽番組が宣伝装置になってしまった感は否めない。