そんな2人が、当時から一目置いていたのが爆笑問題。
西尾「本ネタの漫才だけでなく、ボキャブラネタも抜群に面白かったので、さすがだなって。大ウケするともらえる大座布団をすぐに10枚集めて初代名人になりましたしね」
さがね「漫才は太田(光)さんが作っているのですが、ボキャブラ用のネタはすべて田中(裕二)さんが作っていたんだよね」
西尾「だから太田さんに会ったときは、“今の爆笑問題があるのは、田中さんのおかげ”とよく言います(笑)。もともと実力は飛び抜けていたけど、この番組で2人を知った視聴者も多いと思うので、田中さんの功績は偉大!」
芸人がアイドル級の人気に
キャブラーが集結した1997年に富士急ハイランドで行われたイベントには、約1万人のファンが集まるなど社会現象に。当時の盛り上がりをどう感じていたのだろうか。
西尾「芸人の間では意見が二極化していましたね。黄色い歓声が挙がって、ネタをちゃんと見てもらえない……と悩むタイプと、アイドル的な人気を楽しむタイプ。僕らは後者でした(笑)」
さがね「若い女の子たちにキャーキャー言ってもらえるなんて、普通に生きていたらありえないですから」
西尾「僕は当時からデブキャラで単体では人気はなかったので、相方の人気のおこぼれで“トシちゃん気分”を堪能していましたね(笑)」
最高月収は200万円。それまで手にしたことのない大金を得たことで、こんなエピソードも……。
さがね「横浜ベイスターズの選手と仲がよく、選手30人ぐらいが集まる飲み会に呼んでもらったことがあって。飲み終えてお会計を見たら、これなら僕も払えるなという金額だったので支払いをしようとしたんです。そうしたら“大魔神”こと佐々木主浩さんに止められました。当時の僕の何百倍も稼いでいる選手だから当然ですよね(笑)」
西尾「相方はお金があるだけ使っちゃうタイプ。ザキヤマ(山崎弘也)など後輩によく奢っていると聞いていたので、“俺にも服買ってよ”と言ったら、3〜4万円の服をポーンと買ってくれましたから。給料は一緒なのに(笑)」