「アイドルの皆さんも真剣でした。実は、番組を担当する前まではチャラチャラした若者なんじゃないかと邪推していた(笑)。ところが、接するうちに、真剣さが伝わってきて、スポーツ選手のようなひたむきさを感じるようになりました」
忖度なしの姿勢が視聴者に刺さった。テレビに勢いがあったとは言え、最高視聴率41.9%には理由があるのだ。
'80年代後半になると、テレビ出演に消極的なアーティストが増え、それとともにランクインしても出演を辞退するケースが増えた。「ベストテンなのに5曲くらいしか歌われない収録が目立つようになり、番組も勢いを失っていきました」。松下さん自身も、岐路に立った。
「降板したいと、僭越ながら申し伝えました。スポーツアナウンサーとして順調に歩んでいれば、'88年のソウルオリンピックは、僕がオリンピックアナウンサーとして派遣される予定でした。
しかし、ベストテンの司会をしていたためできなかった。『'92年のバルセロナは松下、お前の番だぞ』とスポーツ局の上司に言われていたこともあり、どうしてもバルセロナは自らの手で伝えたかったんですね。
スポーツから始まったアナウンサー人生ですから、元の道に戻ろうと。でも、もしあのときスポーツをやらないで、情報番組やバラエティ番組のアナウンサーとして自立できていたら、今頃ものすごく稼ぐフリーアナウンサーになったのかもしれない!」
すかさず「冗談だよ!」と笑い飛ばす。
「久米さんの後を継いで、あの『ザ・ベストテン』、しかも黒柳さんと一緒に司会をさせていただいた。こんな贅沢な経験をしたアナウンサーはそうそういない。芸の幅を広げていただいた番組。財産です」
PROFILE●松下賢次(まつした・けんじ)●1953年東京都出身。慶應義塾大学卒業後、TBSに入社。35年間アナウンス部に所属し、野球、ゴルフ、サッカー、陸上などスポーツ実況を中心に担当。『ザ・ベストテン』など音楽番組の司会も行う。定年後はフリーとなり、イベントの司会や講演を行う。