沈み込む選手たちへの叱咤
4~5月に1回目の緊急事態宣言が発令され、女子代表も活動休止。選手たちは所属先でトレーニングを続けたが、間近で指導できないホーバスHCは、かつてない不安とストレスにさいなまれた。
2020年1月にひざを負傷し、リハビリに努めていた宮澤はこの期間、指揮官としばしば連絡を取り合っていたことを明かす。
「『調子はどう?』『大丈夫ですか?』とよくLINEをもらいました。私は五輪が通常どおり開催されていたら出られなかった。延期になってチャンスをもらえた立場。トムさんはいい相談相手になってくれて、1年後に出ようと気持ちも高まりました」
11月に代表活動がようやく再開。止まっていた時間が動きだす。だが、今度はキーマンの本橋と渡嘉敷来夢(ENEOS)がそろって右ひざを負傷。長期リハビリから復帰した宮澤も今年1月に肩を痛め、3人の五輪出場が危ぶまれた。
渡嘉敷が担っていたゴール下を主戦場とするポジションはベテラン高田に託された。
「トムさんの代表になってから、主にゴール下がメインの自分も3ポイントを求められました。最初はシュートが届かず、全然入らなかったけど、何とか入るようになった。体力も自信も高まった。身体が動く限り、戦い続けようと思えたんです」
本橋のけがで司令塔役も流動的になった。当落線上にいた町田にホーバスHCははっきりと告げた。
「このままだと東京五輪メンバーに入れない。もっとシュートを決めないと難しい」
厳しい評価を下された町田はパスやドライブが得意で、3ポイントを積極的に打つ点取り屋ではなかった。それがネックになっていた。
「東京五輪に出たいなら、課題をクリアするしかない。やるべきことをやって、それで落ちたら落ちたでしょうがない」
開き直って挑んだ彼女は、2021年7月の最終登録メンバー12人にすべり込む。
これまで以上に個々の選手に厳しい課題を言い渡し、本番直前に最強のチームへと立て直したホーバスHC。
ところが、安堵したのもつかの間、今度は林と宮澤という二枚看板シューターがメンタル面で不調に陥ってしまった。
林に異変が起きたのは6月。60%の成功率を誇る3ポイントが15%まで急降下。チームに暗雲が漂ったのだ。彼女はJX時代のホーバスHCが白鴎大学まで出向き「あなたが必要です」とスカウトし、屈指の得点源へと育て上げた選手だ。
「4~5月は面白いくらいに入っていました。『こんなに入って大丈夫なのか』と思うくらいで、逆に不安を覚えました。その予感が的中し、6月からまったく入らなくなり、感覚さえもわからなくなりました」
そんな林を呼んで、ホーバスHCは怒った。
「今のプレー足りない。全然ダメ。なんで自信ないの? 早く切り替えして」
林はプロスポーツ選手の名言集などを読み漁り「できない自分、弱い自分を受け入れることが大事」という一文を肝に銘じたという。7月頭からは徐々に調子が上向き、本番でのブレイクにつながった。
もう1人の宮澤も、痛めた肩の状態が快方に向かっていたが、本来のシュート感覚を取り戻せず苦悩していた。スランプから抜け出せずにいると、ホーバスHCからこんな言葉をかけられた。
「アース(宮澤の愛称)の力が大事です。僕とチームを助けてください」
出会ってから10年。指揮官に怒鳴られた回数ナンバーワンといっても過言ではなかった。心が折れそうになったことも1度や2度ではない。そんな強気の恩師が弱音を吐き、自分を頼ってくれている。その姿が宮澤に響いた。
「ここでやらなきゃ」
自らを奮い立たせ、本番寸前に復活。3ポイントという武器を取り戻した。
直前の混乱を経て、東京五輪が開幕した──。