「世界で、1部リーグでプレーした数、プレーした数だけじゃなく、プレーしてゴールを決めた数、これの世界一って、それはそれで世界一じゃないかって」
9月に、旧ソビエト圏のバルト三国の1つ、リトアニア1部リーグのクラブへの加入を発表したサッカー元日本代表の本田圭佑(35)。“世界一を目指す”と公言してはばからなかった彼のここ数年のキャリアは、ポルトガル(選手登録が認められず出場はナシ)、アゼルバイジャン(7試合出場、2得点)、そしてリトアニアと、サッカーという“世界”では、第一線級とは言い難い。
多弁で自信家として知られる本田。しかし、ワールドカップで3大会連続ゴールし、世界的に見ても数人しか成し遂げていない記録を達成するなど、批判の声を結果で黙らせてきた。だからこそ「世界一になる」と言い続けてきた。
'18年大会で代表を引退し、ワールドカップで優勝して世界一の選手になることを諦めた彼が、現在目指している“世界一”が冒頭の移籍発表時の発言。移籍後最初の試合でさっそくゴールを決めた本田は試合後にインスタグラムを更新。以下のコメントを添えた。
《A goal in the ninth country Who scored the most leagues all over the world? I want to try the record》(9か国目のゴール。何ヶ国ゴールが世界最多? 記録に挑戦してみたい)
日本、シンガポール、オーストラリア、ベトナム、香港、タイ、マレーシア、ブルネイ、モルディブ、マカオ、インド、ミャンマー、ネパール、カンボジア、フィリピン、モンゴル、ラオス、ブータン、スリランカ、東ティモール、グアム、サイパン。計22の国と地域。これはアジア圏の何かの連合などではない。1人のサッカー選手がプレーした国の数。それも日本人だ。
本田の2倍の国でゴールを決めた日本人
伊藤壇(45)という元プロサッカー選手がいる。「アジアの渡り鳥」と呼ばれ、上記のように多くの国でプレーした彼のことは、コアなサッカーファンはご存知だろう。しかし、一般的にはほとんど知られていないのではないだろうか。実は、彼がゴールを決めた国の数は18か国。そのトップ(1部)リーグだ。現時点で本田の2倍の国でゴールを記録している。
北海道札幌市出身。高校サッカー選手権に出場。大学を経て、'98年にブランメル仙台(現・ベガルタ仙台)に入団し、プロとしてのキャリアをスタートさせた。
「仙台でも1年目の開幕戦からずっと試合に出ていて、一応プロ選手としては順調な方だったと思います」
そう話すのは、“アジアの渡り鳥”伊藤壇本人。転機は2年目に訪れる。
「2年目は怪我で出遅れたんですけど、夏の時点で10試合くらいは出ていて、その年も順調だった。でも、ある試合の当日に寝坊して遅刻してしまって……(苦笑)。そこから人生が狂ってというか」(伊藤、以下同)
その年、伊藤はチームから戦力外通告を受ける。一般社会で言うクビ、解雇である。
「当時は今のようにJリーグもチーム数が多いわけではなかったし、合同トライアウト(編集部注・シーズン終了後に行われる、その年に戦力外通告を受けるなど移籍先を探す選手たちが参加する入団テスト。各チームのスカウトが参加する)とかもなかった。
また、試合に出ていたとはいえ、やっぱり替えの選手がたくさんいるようなレベルだったので、引き取ってくれるチームはどこもありませんでした」