死なないでいられる日を積み重ねているだけ
中学3年の3月に出所。
「その後、母と母の彼氏の部屋に住んだのですが、家出をしました。また悪い男と覚せい剤に出会ってしまった。その後、違法薬物の使用がバレて、また逮捕されたんです」
逮捕時、15歳の少女のお腹には、小さな命が宿っていた。
「医療少年院に送られました。出産しても育てられないので、中絶を……。おばあちゃんの事件、中絶などが重なったのか、完全にメンタルを病んでしまったんです」
17歳で医療少年院を出所、18歳で風俗店で働きだした。交際相手との間にできた子を5回、中絶した。当時は精神的に不安定で、自殺未遂を繰り返す。その数、50回以上。
「21歳のときは、中期中絶もしました。私は産みたいのに母が猛反対したんです。悩みに悩んだ末、人工的に陣痛を起こして、出産。死産扱いになるんです……。ビニール袋に入れられた赤ちゃんを自分ひとりで火葬場に持っていったときは、“人生、終わったな”と思いましたね」
その後、風俗業のかたわら'15年、22歳で自らAV業界入りを志願。その全身タトゥーのいでたちは、好事家たちの間で話題となった。
「ずっと飯島愛ちゃんに憧れていたんです。この芸名も、愛ちゃんから頂きました。AVのお仕事も、最初は順調でしたが、“AV女優だから何をしてもいい”と勘違いする男も少なくありませんでしたね。一度は、クラブで“AV女優でしょ、5万でヤラせろよ”と言われてレイプされました。友達に相談しても“なんで逃げなかったの?”と言われたし、警察での事情聴取は、あまりに事細かに聞かれるのがつらすぎて、被害届を出すのを諦めてしまいました」
被害に加え、友人や警察の心無い言葉に折れた。それでもなお、性風俗やAVは続けていくと語る。
「エロって答えがないじゃないですか。私は、AVや風俗の仕事を通じて、女でいることや性について追求していきたいんです。ゆくゆくはYouTubeのチャンネルも開設したいですね」
過酷な環境を生き延びたくうがさんを周囲の人は、「強い」と賞し、褒め称える。しかし当人は首を横に振る。
「今も眠剤がないと寝れないし、引きこもる日もある。つらいことを思い出したときには、睡眠薬を少し多めに飲んで寝逃げをしてやり過ごすしかないし、病院で採血されるときには、針のチクッとした感覚で、覚せい剤をしていた記憶がフラッシュバックする。今日一日、今日一日、と死なないでいられる日を積み重ねているだけです」
とはいえ、かつての自分のように悩み、苦しんでいる10代の女の子には、どうしても伝えたいことがある。
「つらいことがあったら逃げていい、と伝えたいですね。子どものころって、家や学校が世界のすべてだと思ってしまいますが、そんなワケない。学校なんて別に行かなくていいし、病んで死んじゃうなら逃げていい。とりあえず生き延びていれば、そのとき助けてくれる人も現れるから」
現在、母親Mさんとの関係は、比較的良好だという。
「母がある日、“あなたも変わったね、成長したね”と言ってくれたんです」
しかし今も心にわだかまりが残るのは、祖母のこと。
「会いたいですね。現在は出所して、生活保護を受けていると聞きました。なぜおばあちゃんが、おばさんを殺したのか、本当にわからない。本当の理由を知りたいんです」
また取材時、くうがさんは、こんな言葉も口にした。
「過去に起こったことは変えられない。でもそれも価値あるように感じるんです。たしかに苦労したけど、その過去は自分にしかないものだから」
その体験をひとつひとつ言葉にしながら、くうがさんは今日一日を生き延びている。