惚れた男に贈った高級車を破壊
子どものころから愛する対象が男性であることを自覚していた吉野さん。その愛のかたちがどのようなものかを知ったのは、ボーイとして働きだしてすぐのころだ。
「お客さんのGIにドライブに誘われたときよ。うれしさ半分、怖さ半分だったわね。初体験が外国人だったから、私はマダムバタフライ(蝶々夫人)ならぬ、マダムカキフライって言ってるの(笑)。やさしくしてもらって、PXでドーナツやポップコーンを買ってもらったわ。食うや食わずで、生きるのに必死な時代だったからね」
戦後、昼間から女装をして街に立つ男娼がいた。それらの人々の蔑称が“オカマ”だったという。
「上野の山になんかたくさんいたのよ。私たちゲイボーイは、芸を見せてそれで人を楽しませる仕事だって、だからああいう連中とは一緒にされたくないわよって、変なプライドがあったわね。今はオカマって言われても、何とも思わないけどね」
刹那的な出会いを繰り返していた吉野さんだったが、1度だけ本気の恋をした。『吉野』を開業し、乗りに乗ったころだ。相手は普通の会社員で、知人の営む池袋の『グレー』という店で知り合ったという。
「そこも一見普通のバーなんだけど、男の子がずらっと並んでて、お酒を飲みながら話して、気に入ったらカップルになるというシステムだったの。学生やまじめそうな子もいたわ。小遣いになるから、安直な考えでやってたんでしょうね。沖雅也みたいに俳優になった人もいたのよ」
そこでアルバイトをしていた彼に、吉野さんはひと目惚れしてしまう。カルーセル麻紀はその恋を傍らで見ていた。
「私、その男知ってますよ!若くていい男でね。お母さんは猿面が好きなんですよ。男の趣味もわかってますから」
吉野さんはその男性と宮崎を旅したり、若者の憧れだったスポーツカー、フェアレディZを買ってあげたりもした。
「ママとドライブしたいなんてうまいこと言いやがって!ほだされて買ってやったら、私なんてほとんど乗せてくれないで、銀座のホステスと乗り回してたみたいで」
動かぬ証拠をつかんだ吉野さんは、ついにあることを決行する。
「男が女の家の駐車場に車を止めて泊まり込んでたから、夜中にトンカチでタイヤから何から全部ぶっ壊してやったのよ!ところが男もまぁ図々しくて、家の前に車を置いといたら壊れてた、だなんて泣きついてきて」
文句を言おうと思ったが、そのときはまだ彼への未練があり、結局、修理代を出してあげることにした。
「“あらそう、誰が壊したのかしら?”なんて言って。てめえで壊して、てめえで払ってって。そんな思い出があるわよ。若気の至りよ!
それまでは“おしまママ”が男に惚れたなんて話を聞いて、アハハってばかにしてたのね。ママに“あんたもいつかそういう経験するわよ”ってすごい怖い顔で言われてたから、あ~因果がめぐって、やっぱりこういうことになったんだって思ったわ」
カルーセル麻紀が言う。
「その男はゲイでも何でもなくてノーマルの男だから、結局は銀座のホステスに取られちゃった。私もそういうのありましたよ!お母さんは身体もどこもいじってなくて、あのままの人なのね。そこは私と違うんだけど、みんなそれぞれで、思考も違うんだって、認め合っているんですよ」
吉野さんはその恋に破れて以来、同じことを繰り返さないと決心したそうだ。
「ゲイは男に貢いだりして、最後はあんまりお金がなくなっちゃうことがあるのよ。結局ノンケなんかに惚れたら、つなぎはお金しかないからね。貢いじゃ駄目だわって、それからは賢くなったの」
とはいえ、ボーイハントをしたくなると、日没後、公園や大学へ出張していった。
「暗がりだと男だってばれないからね。私の時代の性転換手術は失敗することが多かったからね、何もしていないの」
駒沢公園や碑文谷公園、駒場の東大は行きつけの出張先で、東大の寮では痴女が出ると問題になったこともあるという。
「おっぱいの代わりに氷嚢(ひょうのう)にお湯を入れて、輪ゴムで結んで胸にしまっておくの。あるとき、男に噛まれたらそれが破裂しちゃって、顔にバシャーって水がかかっちゃったのよ。相手は何が起きたかわからなかったでしょうね。お互いに驚いて逃げたわ。
それとか足の間に隠していたものが、ふとした拍子に飛び出しちゃったり!相手が腰を抜かしている間に、ハイヒールを脱ぎ捨てて逃げたわよ。今だったら殺されてるわよね」
ひと昔前の男性たちは純情で、吉野さんを女性と勘違いする人も多かったのだとか。