産婦人科医の厳しい現実
研修を終えた貴子さんが就職したのは3次救急まで行う市立の基幹病院だ。採用時に年齢ではじかれることはなかったが、働き始めるとすぐ、厳しい現実に直面することになる。
緊急性のある職場で深夜でも対応を求められる。もちろん、日中の業務も普通にこなしながらだ。
「新人の私には手に負えない患者さんも運ばれてきます。特にお産は母体と赤ちゃんと2人とも救って当たり前だから、大変なんですよ。独り身で体力のある人なら、それこそずっと病院に詰めて、どんどん技術を身につけて、何年か後には一人前になっているんだと思います。
でも、私には家庭もあるし、体力的にも限界があってもたない。半年間頑張ったけど、もう無理だなと思って辞めました」
医学部を受けていたときは、努力すればいつかは合格できると信じていたから続けられた。だが、産婦人科での勤務は努力だけではどうしようもないほど過酷だった。無理なものは無理だと割り切ってからは、決断が早かった。
すぐに就職活動を開始。次の職場に選んだのは、まるで畑違いの自毛植毛の分野だ。自毛を採取し、薄毛の気になる部分の頭皮に移植する。増毛や育毛とは違い、医療行為に当たるため、専門の医療機関で手術を受ける必要がある。
美容師の兄から、薄毛に悩む人は多いのに日本ではあまり普及していないという話を聞いて、興味を持った。自身も幼少期から抜毛症で髪の毛がないことに悩んできたため、患者の気持ちに寄り添える気がした。
自毛植毛は全額自己負担の美容医療だ。夫の充雅さんは妻の選択を聞いて、胃が痛くなったそうだ。
「あれだけ『人を助けたい』と言ってたのに、なんだ結局、美容か、って周りから言われないかなと」
そんな夫の心配をよそに、妻は吹っ切れた様子で、明るい笑顔を浮かべる。
「誰かを何らかの形で救えるのなら、診療科にこだわりはないです」
立ち止まってはいられない事情もある。
「まずは学生時代に借りたお金を返さないと。市立病院の給料はよかったけど、返済には足りなくて……」
返済のめどがついたら、医師の仕事と並行して、困っている女性を支援するような活動をやりたいと考えている。かつての自分のように、心身を病んでしまった人がたくさんいる現実を、見て見ぬふりはできない。医師になった自分だから、できることがあるはずだ。
「具体的にどうしたらいいのか、まだはっきりとは見えてきませんが」
人生100年時代、まだまだ時間は十分にある。
〈取材・文/萩原絹代〉
はぎわら・きぬよ ●大学卒業後、週刊誌の記者を経て、フリーのライターになる。'90年に渡米してニューヨークのビジュアルアート大学を卒業。'95年に帰国後は社会問題、教育、育児などをテーマに、週刊誌や月刊誌に寄稿。著書に『死ぬまで一人』がある。