マツコ・デラックスは事あるごとに彼女たちを評価しているひとりだ。たとえば山瀬まみが聞き手のラジオ番組に出演した際はこのように語っている。

「アタシね、ピンクの河童の山瀬さんを見るたびに凄いなって思うの。あと、井森さんのモンダミンね。やっぱり続けるって大事よっていうね。今いる場所で精一杯のことをすればいいのよ。そしたらまた、それを見てたどなたかが、こういう流れもありますよって導いてくれたりするから。

 決めるのを否定はしないわよ。こうありたい、こうなりたいっていって、それに向かって努力するのもひとつのやり方だと思うけど、意外と流れに任せて、差し出された手に身を委ねるっていうのも意外とうまくいく」(『らじおと』'18年3月2日)

 その言葉どおり井森は「そんなに自分ができるやつだって思うのやめようと思った」と語っている。

「確かに、自分で前の日シミュレーションするけど、全然できなかったって、あるわけ。でも、結局あの場に行ったら、あの日できたことはあれが最高だったんだ、おやすみなさい。そうやって寝るようにしてる」(『ボクらの時代』'19年6月16日)

 自分がその場でできることだけを一生懸命にやる。それをひたすら続けるだけだ。すると自分でも気づいていない自分の魅力が溢れ出てくるのだ。人は時にそれを「運」と呼ぶ。運は待っているだけではやってこない。自分で引き寄せるものなのだ。

 彼女は菊地亜美に「むやみやたらにMC目指すな」「私は一回も目指したことない」とアドバイスしたという。地に足がついている。いや、地に足つけざるを得ない道を歩み続けてきた。だからこそ、絶大な信頼を得ているのだ。

夢を現実にしてきた森口博子

 一方、森口博子に対してはマツコは「森口博子さんって聞くだけでなんかほっこりする」と語っている。それに対し「ほっこりするし、ちょっと寂しいよね」と有吉弘行が補足するとマツコは続けて言う。

「でもその寂しさっていうのが、私に生きる勇気を与えてくれるのよ」(『怒り新党』'14年6月18日)

 デビュー曲である『機動戦士Ζガンダム』のOP曲「水の星へ愛をこめて」はスマッシュヒットを記録するもその後は鳴かず飛ばず。事務所からは「才能がないから福岡へ帰れ」とまで言われた。

 けれど、森口は諦めなかった。「なんでもやります」と言うと、顔と名前を売るためにバラエティー番組に進出。『鶴ちゃんのプッツン5』(日本テレビ)で「オスのロバを口説け」というムチャブリにも「ロバリン」と耳に息を吹きかける機転を見せ、一気に「バラドル」としての才能を開花させた。

 '90年代初頭にはレギュラー12本、毎日レギュラー番組が放送されるという絶頂期を迎えた。けれど、森口の夢はあくまでも歌手だった。その思いが届いたのか、23歳のとき『ガンダムF91』の主題歌を歌いオリコンチャートベスト10入り。

 以降『紅白歌合戦』(NHK)に6年連続出場を果たすこととなった。その後も『ガンダム』シリーズの歌を歌い続け「ガンダムの女神」と呼ばれるようになった。

「4歳のときも、『歌手になりたい』じゃなくて、『絶対なる』って決めてたので、そうやって思っていた仕事は全部現実になってきているんです」(「LINE BLOG」'16年11月19日)

 森口にとって「夢」とは、願うことではなく、決めることなのだ。「生涯、発展途上の現役でありたい」(「Real Sound」'19年8月23日)とその不屈の精神は50歳を超えても衰えることを知らない。

「日常に欠かせないのは、喉のためにマスクと、エゴサと。私にとってマスクとエゴサはブラジャーの感覚です」(『サワコの朝』'18年12月8日)

 と自らを客観視することも忘れない。森口博子の大ファンだという又吉直樹は彼女の魅力をこう語っている。

「明るいだけの人はいっぱいるじゃないですか。暗い人もいるんですけど、明るいけど暗い人のことも置いていかない明るさ。暗い人にも優しい明るさ」(『モシモノふたり』'17年1月18日)がある、と。

 そんな部分が「勇気を与えてくれる」要因なのだろう。 

 方向性は違えど、ブレずに地に足がついた活動をしている2人。だからこそ、いつの時代も「古さ」を感じさせないに違いない。

〈文/てれびのスキマ〉