「ほめられたがり」な麻耶が陥る“支配関係”
2014年7月14日に配信された『ダイヤモンドオンライン』の記事で、麻耶はアドラー心理学の第一人者で『嫌われる勇気』(ダイヤモンド社)の著者である哲学者の岸見一郎氏、編集・ライターの古賀史健氏と鼎談しています。
麻耶は岸見氏に「人に合わせてしまうクセ」があることを告白し、その理由を「嫌われたくないから」と自己分析しています。しかし、岸見氏は「人に合わせれば、人の責任にできるから」とアドラー心理学的な解釈をしています。
岸見氏は「たとえばフランス料理を食べたいと思っていたけれど、友人が中華料理を食べたいと言ったとする。友人の意見に合わせれば、たとえ料理が美味しくなくても自分の責任ではありません」と具体例をあげています。
確かに、自分が「あのお店に行こう!」と提案したところがおいしくなかったら、直接的に自分の責任ではないにしても、マナーとして相手に「おいしくなかったね。ごめんね」と謝らなくてはいけないでしょう。しかし、「人に合わせてしまう」人なら、決して自分が謝る必要はありませんし、自分が「許してあげる」という優位なポジションにつくこともできるでしょう。
なぜそんなにも麻耶は責任を取りたくないのでしょうか。これは私の推測ですが、麻耶が「人から責められたくない、もしくは常にほめられたい」からだと思うのです。
実際、麻耶はほめられることも、相手をほめることも大好きだと岸見氏に打ち明けていますが、岸見氏は『嫌われる勇気』内で、「ほめることは叱ることと同様、相手を縦の関係の下に置く行為」「ほめることによって、相手を操作しようとしている」と書いています。
確かに、ほめられたい人はほめてくれる人を常に必要としますから、何を言われても、つい従わざるを得ないでしょう。反対に「この人はほめられたがっている」と見抜ける人にとっては、ほめることで、ほめられたい人を意のままに操ることもできるでしょう。このように、麻耶がほめられたいと思えば思うほど、彼女の人間関係は支配されることが基本の依存的なものになってしまうのです。
2018年に麻耶はエッセイ『しなくていいがまん』(サンマーク出版)を上梓しています。みんなに好かれたい、ほめられたいと思って、いろいろなことをがまんしてきたことを明かし、それらをやめると宣言しています。冒頭の「こんな服着られるかよ!」「ふざけんな」という発言も、もしかしたら「しなくていいがまん」をやめた一環なのかもしれません。今の麻耶は洗脳状態というより「遅れてきた反抗期」と言えるのではないでしょうか。
しかし、「しなくていいがまん」は手放せても、麻耶の「ほめられたい欲」は健在のようです。インスタグラムでインタビューマガジン『B.S.TIMES』のインタビュアーに就任したことを報告した麻耶は《皆様から様々なことを学ばせていただき、成長していきたいと思います》とつづっています。一見、真面目で謙虚そうなコメントですが、やっぱり自分中心グセが見受けられます。インタビュアーの仕事は、相手からいい話を引き出し、それを読者に伝えることなはず。仕事のオファーをかけた側も、インタビュイーも、そして読者も麻耶の成長を求めていないでしょう。
常に自分の話をしてしまうのは、自分のことばかり考えているから。そうすると他人に払うべき関心が薄れますから、対人トラブルが起きやすくなるでしょう。もともとが「嫌われたくない」人ですから、トラブルがあると必要以上に傷つき、「私なんてもうダメだ」と不安定になってしまうかもしれません。そうなると、誰かにほめられることで安心を得たくなりますから、ほめてくれる人にすがって、離れられなくなってしまうということではないでしょうか。